茶道はカジュアルなものではありません。
 カジュアルなものなら、略礼装にせよ、礼装を求められることはありません。

 茶道を「ただ楽しみたい」のなら、カルチャースクールで習うのが良いでしょう。いや、カルチャースクールで学ぶ必要もないかもしれません。客振りだけを学べば良いかもしれませんよ?

 カジュアルではないからといって、かしこまりすぎるのもどうでしょう?

 茶道が具現化する茶の湯とはストイックなだけではないのですから。

 そもそも、茶道は亭主にストイックさは求めても、客に求めるのは違うという考え方もある訳です。

 されど「道」とつくものですから、「稽古は修行」であることは理解していただきたいと思います。

 辛いことも、苦しいこともあるけれど、それはすべて「愉しむためのもの」なんです。

 この「ただ楽しみたい」とは「辛いことや苦しいことを避けて通りたい」という意味で使ってます。

 十代の部活を思い出してください。
 辛い練習や苦しい朝練などがあったからこそ強くなれたのではなかったですか?

 辛いこと苦しいことがあったからこそ、勝利の喜びが「より深く感じられた」のではなかったですか?

 茶道も同じです。 

 ですから、「ただ楽しい」というものは、消費されるその辺の娯楽と代わりないということなんです。

 何物にも変え難い「愉しい」ものにするには、広い知識と見聞、辛くて苦しい修行があってこそ。

 一座建立のために、研鑽することが茶道です。そして、それは「至上の喜び」へと繋がります。

 もし、茶の湯を楽しみたいのなら、喫茶だけ、客だけを学んでみては如何でしょう?

 もちろん正客には坐れませんが。

 正客に坐るには、点前の機微やタイミングなどを知っていなければなりませんし、連客の手本であるべきですから。