瓢棚は、裏千家十四世 碩叟宗室(無限斎)の好んだ杉木地の棚で、勝手付の竪板に瓢透があり、その刳り貫き板を天板に用いて客付に竹柱を配し、地板を添えた小棚です。
 竪板には木釘を挿しこめるようになっていて、仕覆や羽箒、柄杓を掛けることができます。

 その形状から瓢棚と呼ばれますが、別名に文化棚という異称があるそうです。

 瓢透と瓢の天板はまるで兼六園の瓢池と夕顔亭のような雰囲気がありますね。

 瓢(ひさご)はもともと「ひさこ」。「ひさこ」というのは「柄杓(ひしゃく)」のことで、「ひさこ」が「ひさく」に変化して「ひしゃく」となるにしたがって、「ひさこ」は原材料の名称として定着し「ひさご」に変化したようです。

「ひさご」は「瓢」「匏」「瓠」と書き、どれも「ひさご」または「ふくべ」と読みます。

「ひさご」も「ふくべ」も夕顔などの果実の総称で、瓢箪とは「ふくべ」でできた「容器(箪)」の意味です。

「この棚なんで文化棚というんでしょう?」と思って調べてみたんですが……現在のところ答えにたどり着いていません。

 とりあえず、瓢の雅名が「夕顔」であることを知りました。夕顔はヒョウタンの一種であり、乾瓢(干瓢とも)の原種であることは以前から知っていたので、違和感はありませんでしたが、それ以上は調べても「文化」に触れることがない……う~ん。
 先に出てきた兼六園の夕顔亭は、次の間に瓢透があることからの命名だそうですから、瓢の雅名が夕顔とは一般的なことだったんですね。
 枕草子にも夕顔の花と実の話はでてきます。

 そんな中で、壺中天の話が出てきました。
 これは、壺の中に別世界があったという支那の民話で、その壺というのは、瓢でできた容器のことでした。つまり瓢箪ですね。

 これは西遊記にもでてくる金角・銀角兄弟の紅葫蘆(べにひさご/こうころ)も瓢箪でしたが、東洋では携帯用の酒器や水筒として一般的に用いられていたことが解ります。

 瓢は瓢瓠(ひょうこ)、葫蘆(ころ)、壺蘆(ころ)とも呼ばれておりまして、広く東洋では柄杓にしたり水筒にしたりと、身近なものでした。それを利休が花入として初めて用いたとも言われています。

 ちなみに、ヒョウタンはアフリカ原産。日本では縄文時代から使われています。

 文化棚、ご存知の方がいらっしゃったら、是非由来を教えてくださいませm(_ _)m