利休屋敷を後にして、武野紹鴎屋敷に行く前に腹ごしらえ……と、美々卯でうどんを食べました★彡

 

 私が頼んだのは鴨なんば。

 なんば????って思って尋ねると「関東風に言えば鴨南蛮」とのことで、安心して注文。

 この美々卯は「うどんすき」の発祥の店なんだそうですが、お値段的に晩御飯になってしまうので、断念www

 

 まったりと食事をすませて、南宗寺へ。

 が、行けども行けども受け付けがないwwww

 ぐる~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っと回ってようやく受付。

 拝観だから傘はいらないかなーと思ったら、受付の方が

 

「半分ぐらい濡れます」

 

 というので、一応、傘を仕舞うと、すぐに外。

 

「これ、すぐ外やん!!!」

 

 と思わず吹き出しました(笑)

 途中黄色い上着を羽織ったボランティアガイドの方がいらっしゃるとのことでしたが、既に観光客につかまっていたので、ガイドなしでずんずん歩きます。


  実相庵は淡交会の堺市部の方々がお使いで、立ち入れず(元々一般公開してませんが)。
 南宗寺は、当代の管長さんがかなり力を入れて整備されはって、お茶会なども盛んにされてはるそうです。

 

 武野紹鴎の供養塔、利休ならびに三千家当主の供養塔、伝説の家康の墓(※)、三好一族の墓、津田宗及一族の墓がずらりと。この中に遠祖荒木村重(道薫)の墓もあるはず……と探すも見つからず……orz

 

 この南宗寺は、三好長慶が父元長供養のために建てた寺で、その縁で、利休もこちらで修業をしたのかと思われます(利休の最初の妻は三好長慶の妹お稲(妙心宝樹)。

 

 ここの枯山水は古田織部の作庭によるもので、晴れていれば隅々まで見渡したいところですが、雨も降っておりますし寒くなってきたので、早足にw

 

 銀杏の葉が落ちているのに真っ赤な照葉が茂っているのは、面白い光景でした♪



 その後、芥子餅買って、妙國寺へ。

 

 妙國寺には、樹齢千百年の蘇鉄があるということで、西門から入るも、変な音が鳴るので、正門に回る私w<小心者なのです

 正門には「西門に回ってください」って札がwwww

 でも脇門が開いていたので、そこから入りました。

 

 受付を済ませて、今度は屋内のガイド。

 いきなり蘇鉄!ドド~~~~~~~~~~~~~~ン!

 その姿は、まるで多頭龍のよう。

 ヒドラとも見紛うその凄さ。

 で、花が咲いて、実がなるんだそうですが、暑い年にしか実がならないみたいです。

 去年は不作で、今年は豊作だとか。

 

 妙国寺の庭は小堀遠州の作で「綺麗寂び」に相応しい蘇鉄の森が一部切り開かれて駿州の景色を盛り込んだ素敵な庭でした♪
家康が本能寺の変の際宿所にして伊賀越えをしたことでも有名だそうです。また、大阪の陣の際に立ち寄り、宿所とし、その際に小堀遠州の作庭を褒めたとか。

 

 南宗寺は古田織部、妙國寺は小堀遠州。なるほど。
 師弟の絆はここにもありましたか。

 

 宝物殿に案内されました。

 幕末の頃には土佐藩士とフランス人船員がトラブルとなってフランス人船員が斬り殺された「堺事件」がおこり、土佐藩士二十人が切腹を申し付けられ、妙國寺で実施され、十一人目でフランス側が「もういい!フランス人も十一人死んだのだから、これでもう辞めてくれ!」と切腹のあまりの悲惨さに止めたとか。
 その遺髪や連盟の遺偈だとかの掛軸がありました。

 妙國寺は皇室勅願所とされているため、罪人の墓は作れぬということで、妙国寺には土佐藩士の墓はなく、向いの寺に作られたそうですが、妙国寺には「とさはんしはらきりのはか」という碑が立っています。

 

 で、それ以外には、大塩平八郎と東郷平八郎の掛軸。

 大塩平八郎と東郷平八郎はともに日蓮宗の信徒だったそうです。なんでここに?って思いましたねww

 

 ここには利休作の空蝉を如心斎が模した茶杓が寺宝として、博物館に貸し出されてるとか。
 他にも小堀遠州(初代)の茶杓もあり、普段よく見る遠州好みの茶杓ではないのでびっくり! 薬研樋で折撓ではなく剣先でもなく。筒に摺漆がほどこされ、金で字が書かれていて素敵な筒でした!


 不思議な茶入があり、煎茶の茶心壺ではないかと思います(笑)

 

 拝観時間を大幅に過ぎて、四時に閉まるという門から五時過ぎに退散し、時間も時間なので、あべのハルカスに出て夕飯となりました☆彡

 

 で、あわててバスに飛び乗ったので……お土産買う暇は無かったです(笑)


 いや、愉しかった。

 また、是非行きたいですね。

 次は、堺の茶室で実際に行われているお茶会かお茶事かに伺いたいものです。