炉開きや口切の茶事で、よくされる三部の道具立て。

 

 瓢(ふくべ)、織部(おりべ)、伊部(いんべ)。

 

 これ、密教の曼荼羅が云々って話だそうですが、実は「昭和に入ってから行われるようになった道具立ての好み」であり、もともとそういう習慣があった訳ではないということが解ってきました。

 

 そもそも、禅の影響が強い茶道において密教の三部というのが違和感あったんですが、道具立ての物語として取り入れたということであれば、いわゆる因みですから、亭主の自由ですよね(笑)

 

  密教では、胎蔵界を分けた、仏部・蓮華部・金剛部を三部といい、これを宛てたんだそうですが、これってなんの意味?って話ですよね。

 

 この三部というのは、部族の意味で、釈尊、金剛手、観音がその代表です。

 まぁ、簡単に言うと神さまの種族ってことですね。

 

 胎蔵界ってのは、「子供が母親の胎内で育つように、大日如来の慈悲により、本来存在している悟りの本質が育ち生まれてくる」訓えです。

 

 これを守護するのが三部な訳ですが、これ「さん【ぶ】」なんで、規矩とするには少々弱いです。こういうものは道具組みの物語の一つとして普遍化させて規矩のようにするのはよろしくないなーっと思います。

 

 今後は敢えて三部はやらないことにいたします。