鎮信流宗家・松浦宏月公の不昧軒を辞して、至誠軒で昼食。
 こちらはいつもの巾着です♪

 迷いましたが、久しぶりに小堀宗圓宗匠のお部屋に。
 こちらは本殿の牡丹の間です。

 受付に参りますと、楓の間に通されまして、穏やかに歓談。
 息子がちょっと苦しいらしく外の空気を吸ってくると少々落ち着かない感じではありましたが、おとなしいもんですね。

 寄付床では「狩野周信筆 岸猿猴図」牧谿の描いた猿猴図の写しで、あちらが池に浮かぶ月を取ろうとしているのに対し、狩野周信の猿猴図は空の月を子供の肩を抱きながら指をさしている……という物語性の強さが見受けられます。

 こちらでも正客をとのことで、もったいなくも務めさせていただきました(深々)

 宗圓宗匠にお目に掛るのは、何年ぶりでしょう。
 ここのところずーっと入れず、石州流伊佐派の磯野宗琢宗匠のお部屋に入らせていただいておりましたので、四年ぶりぐらいかもしれません。

 普通ですと床から話を始めるものですが、「書と花は専門の者がおりますので」とご謙遜なさるものですし、和歌は私も読めないですし、会記に書いてありますからあとでじっくり意味を推し量ろうと、棚物に。

 なんといってもこちらの棚物に目を奪われました。
 遠州好の寄木仕掛棚。
 欅(ケヤキ)と鉄刀木(タガヤサン)やおそらく松を組み合わせて作られた摺漆の寄木棚です。
 なんというか形容の使用がないんですが、全くほかに類をみない棚です。
 欄間が地板にあり、水指と風炉を囲うようについており、手前だけがあいているようになっておりまして、水指の上は袋棚になっていて、花菱透と綾織透。花菱は倹飩蓋になっていて、中に茶入や茶器を入れて点前することもあるとか。
 風爐は唐銅鬼面でしたが「ちと大きすぎました」とのこと。
 とすると、小風爐か朝鮮風炉が似合いだったのでしょう。
 次に拝見できるときを愉しみにしております★彡

 水指は見込に海の字がある安南水指で、枯れている素敵な水指なんですが、それ以上に見応えのあったのが「茶入」。なんと宗甫字形とのことで、古瀬戸茄子。……マジものの古瀬戸ですよ?!
 古瀬戸(こせと・ふるせと)は「加藤藤四郎のものしか呼んではいけない」と言われるほどのもの。銘は「呼子鳥」。カッコウともヒヨドリとも言われますが、春の季語のはず。それよりは「鳴き声が人を呼んでいるような」風情が相応しいということでしょうか。水指の海は海開きが近いからと思われますし、やはり端午を意識されたのでしょうか。

 床の和歌は「いたづらに 過にしことや なげかれん 受け難き身の 夕暮の空」という『新古今集』大僧正慈円の詠まれたものです。慈円は父は摂政関白・藤原忠通、摂政関白・九条兼実は同母兄という人物で、兄・兼実の孫・九条道家の後見人を務めるとともに、道家の子・藤原頼経が将軍として鎌倉に下向することに期待を寄せるなど、公武の協調を理想とした人物です。

 こうして調べていくと、どんな物語がそこにあるのか想像して愉しいですよね^^

 主茶盌は高麗堅手。銘は不老。まだまだ若いとのことですが、宗圓宗匠の父君・宗通宗匠の極箱。すっごい素敵な茶盌でしたよ!使い込まれている染みが内側から広がり始めている感じでしたし。
 琵琶色の素敵な茶盌で、思わずほしい!と思ってしまったのは内緒です(笑)

 そして珍しい無閑人蓋置。しかも青磁!
 建水は先代宗通好の木地曲建水で、上に七宝透のあるもの。
 基本的に七宝透は遠州流の家紋から来ているとのことで、なるほど、遠州の綺麗寂びにあこがれた茶人の多さがよくわかります。

 それと、面白い手を一つ披露いただきました。
 釜の蓋を持つときの帛紗捌きです。
 両端から丸めるようにして畳み、そのまま釜蓋を拭いて、中央のくぼみで摘みを包んで扱うという遠州流ならではの手でしょうか。

 初めて見た手でしたので、「すみませんもう一度やっていただけませんか?」と言ってしまいましたら、快くやってくださいました♪
 今度稽古してみますw

 薄茶→濃茶→濃茶という流れだったので、宗歌先生と「池袋でお茶して帰りましょうか」ということで、喫茶店で二時間ぐらいお茶談義。宗歌先生お付き合いありがとうございました。