以前から探していてようやく手に入れた一品。

 お弟子さんが増えたことですし、常什の掛軸として何がいいかなぁ?と思っていたわけですが、これでようやく『お茶会へ行こう』に使う掛軸とは別に用意することができました!

 この言葉は江戸時代に広まった茶道の要諦であり、村田珠光が足利義政に茶道の奥義を問われて答えたとされていますが、実はそのような歴史的事実は確認されておらず、後世の創作であろうと言われています。

 またそこには「謹敬清寂」の四字が書かれており、和敬清寂ではありません。よく間違えられるのは和敬静寂ですが、静かではなく、清らかですので、お間違えなきよう(笑)

この四字を私は

以和為貴 居敬窮理
簡素清貧 枯淡閑寂

という四字四句であると解釈しています。

 聖徳太子の定めた十七条の憲法で有名な「以和為貴」の和とは、仲良くすることではなく、「調和すること」を意味し、茶道においては一座建立のために主客(亭主と客)か力を合わせることです。
 たとえ、普段どれほど仲の悪い人であろうとも、一度茶席に入れば、一座建立し、一期一会の時を完成させることに尽力を惜しまないという主客の心得です。
 これこそが茶道における「和を以って貴しと為す」の正しい解釈かと思います。

 次の「居敬窮理」はあまり耳馴染みのない言葉です。これは朱子の教えにあるもので、居敬とは居住まいを正すこと、すなわち日常生活において正しく生きることです。日常生活をきちんとすることで理(ことわり)を窮(きわ)めることができるという、求道の心得です。
 茶の湯の規矩というのは何も茶の湯にだけに通じるものがある訳ではなく、日常生活の中にこそその合理性の基礎があり、そこから紐解かれるものがなければ、理論は上滑りするだけで地に足の付かない空論となることを戒めている語でもあります。
 私もかつてはやりましたが、珍妙な道具組みが起こるのは、こうしたことがきちんと身についていないからこそなのだなぁ?と思います。

 次の「簡素清貧」は特に禅語や漢文という訳ではなく、「簡略にして質素であり、貧しくとも清らかな心であれ」ということです。
 点前の手続きは基本通りにして過飾なく、もてなしは贅を尽くさず豪華にならないように慎み深く、貧しくても清らかな心を持つようにするという、もてなしの心得です。

 最後の「枯淡閑寂」は、「ひっそりとさびしく、あっさりしている中に深い味わいのあること」であり、侘の極意であり、私は目利きの心得だと、考えています。閑寂枯淡とも。寂びは寂しいというよりも「シンプル」と言い換えた方が現代的かな?とも思います。つまり、ごてごてしておらず、過剰な美観にならずに、シンプルに良い物をということです。合理に反する余分なものを削ぎ落としたあっさりとした物の中にこそ、深い味わいが存立するということですね。

 含蓄のある言葉ですが、是非、身につけたい言葉ですね!