真行草は、全ての道具にあり、組み合わせがある程度の幅があるにせよ、無視すると不自然にも思われるようになります。
例えば、紹鴎棚の天板には、香合を飾り付けることはあっても、花入は普通置き合わせませんし、竹台子に朱塗手桶水指を組み合わせることはしません。
これはしてはならないのではなく、普通しないということですが、そこに何らかの意趣がなければ、組み合わせとしては不自然であるということになります。
紹鴎棚は香道の棚から発展した棚であり、武野紹鴎がその奥義を込めた棚であると述べている程の棚で、天板には、その由来から香合や本を飾ることはあっても、花入を飾ることはいたしません。
そもそも、花は床に在るべきであり、初座の床に花がないときのみ、点前座に飾ることも意趣として有り得ることではありますが、茶盌以外二つとして同じ種類の道具を用いることなき茶席に於いて、花入を重ねることは不自然です。
木地の棚には行の扱いの水指を載せるのが相応しく、行の扱いとは、施釉陶器のものとなります。
この施釉陶器には自然釉は含みません。自然釉は焼締と同じ扱いとなります。これら自然釉などの焼締や焼貫の陶器は棚に登らず、畳に直置きすべきものですが、地板に砂摺が施されているものは、載せることができます。
私も過去には規矩を踰えた道具組みを幾つもしてまいりましたが、今から思うと火の出るような恥ずかしさを覚えます。
道具の格を無視しがちな昨今の茶道にあって、規矩をキチンと後代に伝えて行かねばならないと強く思う次第です。
例えば、紹鴎棚の天板には、香合を飾り付けることはあっても、花入は普通置き合わせませんし、竹台子に朱塗手桶水指を組み合わせることはしません。
これはしてはならないのではなく、普通しないということですが、そこに何らかの意趣がなければ、組み合わせとしては不自然であるということになります。
紹鴎棚は香道の棚から発展した棚であり、武野紹鴎がその奥義を込めた棚であると述べている程の棚で、天板には、その由来から香合や本を飾ることはあっても、花入を飾ることはいたしません。
そもそも、花は床に在るべきであり、初座の床に花がないときのみ、点前座に飾ることも意趣として有り得ることではありますが、茶盌以外二つとして同じ種類の道具を用いることなき茶席に於いて、花入を重ねることは不自然です。
また、塗物の水指も、朱塗や真塗といった真の扱いをするものを、草の扱いである木地の棚に載せるのも不自然です。これは、唐銅、青瓷、白瓷、染付、祥瑞、交趾などにも言えることで、これら真の扱いは塗物の棚にのみ置き合わせることになります。
木地の棚には行の扱いの水指を載せるのが相応しく、行の扱いとは、施釉陶器のものとなります。
この施釉陶器には自然釉は含みません。自然釉は焼締と同じ扱いとなります。これら自然釉などの焼締や焼貫の陶器は棚に登らず、畳に直置きすべきものですが、地板に砂摺が施されているものは、載せることができます。
私も過去には規矩を踰えた道具組みを幾つもしてまいりましたが、今から思うと火の出るような恥ずかしさを覚えます。
道具の格を無視しがちな昨今の茶道にあって、規矩をキチンと後代に伝えて行かねばならないと強く思う次第です。