抹茶。

 抹茶とは粉「抹」になったお茶のことです。
 現代語では抹が常用漢字外のため、末の字で代替していますが、本来は粉抹と書きます。

 抹という漢字は「なでつける、こすりつける、ぬりつぶす」という意味です。
 末とは「木」の象形文字に横線を入れて、物の末端(先端)を表した字です。
 このことから、枝葉末節などのように「こまかいもの」という意味が生じます。これに「手」が付くことで「手でこまかくする動作」を表し、「すりつぶす」「こなごなにする」「すみずみまでぬりつぶす」というような意味が生じました。

 抹茶の「抹」の字は、そのようにされた御茶という意味になります。


 常々、常用漢字の制定が日本語を危うくしているのだと述べていますが、こうした漢字の成り立ちを知らなくても、漢字の教え方を変えれば、簡単に意味を把握できることが解るかと思います。

 こうした代替字によって、日本語の正しい意味と表現が失われているというのが、現実なのではないでしょうか。それは「姑と同居したくない」という風潮にも表れていると思います。

 この姑と同居したくないというのは、深く掘り下げると「旦那になる人を本当の意味で愛してはいない」と私は考えます。余程の変人な姑でない限り、旦那になる人というのは、姑が育て、教育しており、基本的な性格は父親から受け継ぐとしても、成長過程における人格形成は母親が行います。

 つまり、旦那になる人の半分は母親=姑なのです。
 これを拒絶するということは「旦那になる人を半分拒絶している」ことに繋がります。また、そういうことを言う人は、将来子供に同じことを言われるようになるか、「嫌なことがあったらすぐ家に戻って来なさい」とか言って、離婚率の向上に一役買ってしまうのではないでしょうかね。

 いかん、つい辛口になりましたが(苦笑)

 日本は伝統的に大家族主義で、平安以来の家父長制の伝統を持っています。
 戦後、家父長制は否定され核家族化が進みましたが、この核家族化が「伝統の破壊」と「文化の断絶」を生んでいる最大の原因であることは、多くの面で指摘できます。

 家父長制というのは、家長絶対主義ではなく、家を大事にするという制度であり、役割分担と権限委譲の制度であるのですが、非常に誤解されて、家長絶対主義のように思われています。しかし、家長は自分の好き嫌いではなく「家にとってどうなのか?」を考えるようになりますので、非常に公平で公正な判断を求められるということがあります。

 今一度、日本人は「日本の伝統の好い所を見直す」必要があるのではないでしょうか。