温故知新。

 これは私が茶道のみならず、すべての事柄に対して考えることで、座右の銘としている言葉です。いずれ名僧の書で手に入れて、座右の書として年中掛けておきたいものです(笑)

 それはさておき、茶道は古臭いと思われているように感じますが、本当にそうでしょうか。

 流儀を残すことに汲々とすることは、確かに古臭い部分があるかもしれませんが、そういう感覚は、本当のところをいうと、変にアメリカナイズされた感覚なのではないか?と感じたりします。

 つまり、日本人の舶来好きということです。

 実際のところ、算数や数学というのは、茶道よりも古いですし、外国では日本のように自国の文化を卑下する考え方はありません。

 日本の伝統や文化を莫迦にする人というのは、単に表面的な外国の猿真似をしているにすぎないということです。

 その文化に触れ、深く知りもせず、自分の国の文化や歴史を知りもしないで居られるということが、そもそもそうした人の底の浅さを示しています。

 茶道は日本で生まれ、日本で育つ中で、絶えず変化しているものです。伝統を守りつつ、変化しています。

 その伝統を古く黴臭いと感じる感覚こそが、私からすると「古臭い感覚」だと思っています。

 茶道は見せ掛けの流行を追わない、目新しさを求めず、本質的な新たしさを求めるものです。

 伝統の中にこそある新たしさ、柔軟さ、そして日本らしさ。

 そうした文化は人を育てます。
 昨今は目新しさや、一過性の表面的な面白さばかり持て囃されています。

 それは過去の先達たちが繰り返してきたものであり、焼き直しにすぎません。あっという間に廃れ行くことでしょう。本当に新たしいのは、伝統の中にこそある。

 諸外国がこぞって日本の歴史や文化や伝統に敬意を示すのは何故なのか、よくよく考えていただきたいものです。



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