茶道は伝統的なものであるとされますが、実は興ってから一つとしてそのまま保持されているものはないといったら驚かれるかもしれません。

 新しい物や、新しい素材といったものを吸収し、創作し、工夫し、時代時代の世情にあった形へ変化しているものな訳ですが、なんでも取り込めばいいという訳ではありません。

 元々の規矩に反するものは「取り込もうとしても取り込めない」ため、こぼれるものはある訳です。ここで問題になってくるのは「規矩を知らずして勝手に取り込む」ということです。

 ここは意見の分かれるところですが、かの織部とて利休に「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とさとされていたりしますので、「突き抜けること」や「真新しいこと」に拘泥していては「茶の湯の新しい姿」にはならないと思います。

 そこには「侘び」や「寂び」といった「精神的奥ゆかしさ」を保持しつつ、「己が何者なのか?」を問うという精神修行が根柢にあるということです。

 こうした規矩を保持するということは、伝統を守ることであるというのはまた違います。
 茶の湯の規矩は「常に新しさを取り入れるためのルール」と捉える方が無難です。

 とかく、近年は「目新しさを追い求める茶道」が目につきがちで、話題性もあることから、そうした方々の意見が取り上げられがちですが、それは本当の意味で「己が何者かを問い詰めた答え」なのでしょうか。

 茶道の本質は「流行」ではなく「求道(くどう)」であり、「窮道」であると私は考えます。
 規矩に則り、新しい工夫や新しい道具を取り入れ、新しい自分らしい道具立てを考え出していく……。なかなかできることではないですが、目新しさにのみ囚われて本質を失うようなことがないように、基本をしっかりと押さえていきたいと思います。