弟子を指導していて、はたと気づいたことがあります。
 それは茶筌通しや茶筌洗い、点てたときの「『の』の字」の解釈についてです。

 私は従来「『の』の字を書く」と記憶していましたが、よ~く考えるとみんな「手がバラバラ」であったことに気づきました。

 私の捉え方ですと、茶道の式法というのは「次の手の準備は済んでいる」し、「持ってきた手と戻す手は基本的に一緒」ということになります。

 また、茶筌も水指も釜も「正面から道具を出し入れする」ことが決まりですから、茶筌も当然正面から入れます。一度手を横に倒して茶筌を向こう倒し(茶筌を親指を上にして横から持つ)、手を縦にしつつ茶筌を縦にするという所作で茶盌に入れることになり、当然茶筌を出すときも、同様の手にすることで、茶筌を置きやすくする訳です。

 ところが、「『こ』の字でポン」「検めてポン」「検めてポン」「検めてシャラシャラシャラシャラ」「『の』の字で出す」とやらせると、茶筌が正しい位置に誰も来ない訳ですね(汗)

 教え方が悪いのかと、少々悩みまして、何度か自分でやってみせて、もしかして……と思ったので、「茶筌で『の』の字を書くのではなく、手で『の』の字を書くんですよ?」と言ってみました。

 すると「え?」というような表情。
 そう、全員が『の』の字を「茶筌の穂先」で書いていたんです。

 これでは、茶筌の持ち方が変わらないため、次の手への準備ができません。
 茶筌を持ちかえず茶盌から出すのであれば、特に『の』の字を書く必要などない訳です。
 つまり「『の』の字を書く」動作は「次に茶筌を置くための動作を美しくするための所作」であることが解ります。

 また「真ん中から臍に抜く」というのも「真上に抜く」のではなく「茶筌の穂先が茶盌の中央にあることが正しい」ことを意味します。

 あくまでこれは私の解釈ではありますが、自然と自分がしてきたことを改めて説明することの難しさを学ばせてもらった気がいたします。

 こうして所作の意味を一つずつ噛み砕いていくことこそが「茶人は教えてこそ一人前」と言われることの一つにあるのでしょうね。そういう意味で「出来の悪い弟子は最高の師匠」とも言えるかもしれません。

 こうした話を周りに話すと、「まぁ~た始まった。何を小難しいことを」という顔をされるので、blogに記すだけにしておこうかと思います。