ひょんなことから、茶の湯でガンダムを主題にという話をされました。
以前から、私がガンダム好きだと知ると、からかうのか(面白がっているのだとは思いますが)言われる度に嫌な思いをしておりました。
でも、昨日は、なぜ嫌なんだろう?と考えてみました。
答えは簡単で、私のガンダム愛が他の人とは位相が異なるから……であったからです。
どう位相が異なるかというと、普通の人は「キャラクターの誰それが好き」とか「モビルスーツの何々が好き」ということが多いのですが、私の好きな部分というのはそれらも含めた宇宙世紀の大河ドラマのような流れというか、作品の向こう側にある架空の歴史世界を好きなんだ……ということです。
この辺りは元々の学者肌な性格も手伝っているとは思いますが、ハマるにつれてガンダム世界の歴史的考察をするようになって行きました。
戦記物的な手法を用いた群像劇ですから背景世界を演出された世界観から導き出すのはそれほど大仰なものではありませんが、ナレーションやプラモデルのインストなどの一言一句から政治形態や組織構造、部隊編成、構成、戦術、政治観を導き出すというのは、さながら古文書や論文を読んで歴史の事実を深掘りするのに似ていまして、余計にハマって行くという(笑)
物質的なフィギュアというのは、それらを顕現化させるためのファクターであって、そのものではなく、それが、精神で物質を表現する手法になるのです。つまり、物質的なものであるフィギュアが憑代となって、精神世界を受肉させるというのでしょうか。
それ故、ガンダム的な何かを、不用意に器などに見出してガンダムだ!などというのは、私からするとガンダムに対する冒瀆であり、作家への侮辱であり、相容れないものでしかない……一瞥にも値しません。
私にとっては記号化されたガンダムらしきものはガンダムではないということなのですね。
ひるがえって、茶の湯はというと、物質で精神を表現する手法にほかなりません。物質の持つ意味などを重ねあわせることで精神的な世界を気づかせるということですね。
つまり、私が茶の湯で表現できるのは、宇宙世紀の茶の湯であって、ガンダムの茶の湯ではない……ということになりますが、断言できるほど、宇宙世紀の茶の湯は今と何も変わらないでしょう。
奇抜なもの、奇を衒うものは廃れます。一時的な享楽や流行を追い求めない心が茶の湯にはあって、自らを高めるために道として励むのですから。
ガンダムと茶の湯はマクロコスモス(外宇宙)とミクロコスモス(内宇宙)の関係にあり、繋がってはいても、重なることはあり得ないのです。
以前から、私がガンダム好きだと知ると、からかうのか(面白がっているのだとは思いますが)言われる度に嫌な思いをしておりました。
でも、昨日は、なぜ嫌なんだろう?と考えてみました。
答えは簡単で、私のガンダム愛が他の人とは位相が異なるから……であったからです。
どう位相が異なるかというと、普通の人は「キャラクターの誰それが好き」とか「モビルスーツの何々が好き」ということが多いのですが、私の好きな部分というのはそれらも含めた宇宙世紀の大河ドラマのような流れというか、作品の向こう側にある架空の歴史世界を好きなんだ……ということです。
この辺りは元々の学者肌な性格も手伝っているとは思いますが、ハマるにつれてガンダム世界の歴史的考察をするようになって行きました。
戦記物的な手法を用いた群像劇ですから背景世界を演出された世界観から導き出すのはそれほど大仰なものではありませんが、ナレーションやプラモデルのインストなどの一言一句から政治形態や組織構造、部隊編成、構成、戦術、政治観を導き出すというのは、さながら古文書や論文を読んで歴史の事実を深掘りするのに似ていまして、余計にハマって行くという(笑)
物質的なフィギュアというのは、それらを顕現化させるためのファクターであって、そのものではなく、それが、精神で物質を表現する手法になるのです。つまり、物質的なものであるフィギュアが憑代となって、精神世界を受肉させるというのでしょうか。
それ故、ガンダム的な何かを、不用意に器などに見出してガンダムだ!などというのは、私からするとガンダムに対する冒瀆であり、作家への侮辱であり、相容れないものでしかない……一瞥にも値しません。
私にとっては記号化されたガンダムらしきものはガンダムではないということなのですね。
ひるがえって、茶の湯はというと、物質で精神を表現する手法にほかなりません。物質の持つ意味などを重ねあわせることで精神的な世界を気づかせるということですね。
つまり、私が茶の湯で表現できるのは、宇宙世紀の茶の湯であって、ガンダムの茶の湯ではない……ということになりますが、断言できるほど、宇宙世紀の茶の湯は今と何も変わらないでしょう。
奇抜なもの、奇を衒うものは廃れます。一時的な享楽や流行を追い求めない心が茶の湯にはあって、自らを高めるために道として励むのですから。
ガンダムと茶の湯はマクロコスモス(外宇宙)とミクロコスモス(内宇宙)の関係にあり、繋がってはいても、重なることはあり得ないのです。