砂摺(すなずり)とは木の表面を砂で削り木目を引き出し、凸凹にする技法のことで、柔らかな質感を出しつつ、微妙に平らでない面を作り出します。
木目の間にある木の柔らかな部分だけが削られるため、木目が強調されます。これは波を意味し、水の性質を持つため、砂摺されている木地には、焼締を使ってもよいとされています(表千家はされないそうですが)。
たとえば、山里棚は桐木地ですが、地板に砂摺が施されており、濡らしの焼締水指を用いることができます。ちなみに裏千家の五行棚も砂摺になっていますが、こちらは風炉の中置の棚ですので、焼締水指を据え置くことはなさらないのではないかと思います。
基本的に焼締は運びが基本です。また、棚物には原則として焼締をおかないことになっていますが、丸卓の濡らしは例外ということなんでしょうかね?
ウチの流派では木地は原則すべて「濡れ布巾で拭く」ということと、焼締を用いてもよい(格が合えばですが)となっています。が、砂摺りでないものに用いてもよいというのはいささか不自然な気がいたします(こらこら)。
丸卓の研究をされている方のblogを読んでいると面白いことが書いてありました。
なるほどと納得することも多く、最近、陰陽五行で茶道を説明することに違和感を覚えていたので(戦国時代には陰陽は衰退していて復興したのは江戸時代、つまり陰陽五行が取りざたされて民間に広まったのは南方録以後の話です)、なるほどと思わされるものがありつつも、いまひとつ得心が行っていません。
流儀としての教えと、道具数寄としての探究心はまったく別物だと考えていますので、流儀の際には流儀の、個人としての考えを述べるときには個人のと立て分けて考えるに、卓と棚の違いというのに着目すべきだという点と、卓が本来香炉を飾った格の高いものであるという点はそのとおりだと思うのです……と話がそれましたねw
丸卓は利休の在る意味で侘び茶の運び点前の原型にあたることから、焼締を用いていたというのは、理解できる話です。が、逆説的に言うと「運び点前が完成するに及んで、焼締を用いなくなった」と考えることもできるわけです。
これが、地板のない二重棚を生んでいくわけですから、やはり「表千家が言うように焼締は用いなくなった」と考えるのが自然かもしれません。
そのために「山里棚」に砂摺りをつけて用いるようになった……とする方が至極自然に感じたりしますね。
さて、皆さんはいかが思われますか?^^
iPhoneからの投稿
木目の間にある木の柔らかな部分だけが削られるため、木目が強調されます。これは波を意味し、水の性質を持つため、砂摺されている木地には、焼締を使ってもよいとされています(表千家はされないそうですが)。
たとえば、山里棚は桐木地ですが、地板に砂摺が施されており、濡らしの焼締水指を用いることができます。ちなみに裏千家の五行棚も砂摺になっていますが、こちらは風炉の中置の棚ですので、焼締水指を据え置くことはなさらないのではないかと思います。
基本的に焼締は運びが基本です。また、棚物には原則として焼締をおかないことになっていますが、丸卓の濡らしは例外ということなんでしょうかね?
ウチの流派では木地は原則すべて「濡れ布巾で拭く」ということと、焼締を用いてもよい(格が合えばですが)となっています。が、砂摺りでないものに用いてもよいというのはいささか不自然な気がいたします(こらこら)。
丸卓の研究をされている方のblogを読んでいると面白いことが書いてありました。
なるほどと納得することも多く、最近、陰陽五行で茶道を説明することに違和感を覚えていたので(戦国時代には陰陽は衰退していて復興したのは江戸時代、つまり陰陽五行が取りざたされて民間に広まったのは南方録以後の話です)、なるほどと思わされるものがありつつも、いまひとつ得心が行っていません。
流儀としての教えと、道具数寄としての探究心はまったく別物だと考えていますので、流儀の際には流儀の、個人としての考えを述べるときには個人のと立て分けて考えるに、卓と棚の違いというのに着目すべきだという点と、卓が本来香炉を飾った格の高いものであるという点はそのとおりだと思うのです……と話がそれましたねw
丸卓は利休の在る意味で侘び茶の運び点前の原型にあたることから、焼締を用いていたというのは、理解できる話です。が、逆説的に言うと「運び点前が完成するに及んで、焼締を用いなくなった」と考えることもできるわけです。
これが、地板のない二重棚を生んでいくわけですから、やはり「表千家が言うように焼締は用いなくなった」と考えるのが自然かもしれません。
そのために「山里棚」に砂摺りをつけて用いるようになった……とする方が至極自然に感じたりしますね。
さて、皆さんはいかが思われますか?^^
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