Twitterでもちらっとつぶやきましたが、私は茶人をデザイナーに似ているいるなーとふと思ったんですね。
以前、小説家に擬えましたが、ちょっと違う気もしてきました。
というのは、茶人は「経験と規矩(ルール)と故事(知識)によって道具組みするプロ」と捉えることができるからです。
デザインというのは「設計」という意味で、設計と言うと日本人は芸術家の領分のように思いますが、実は職人の領分です。デザイナーにセンスは要りません。経験とルールと広汎な知識が必要です。
茶人に似ていませんか?
もちろん、茶人にも、物作りをする人がいますが(陶芸家などで茶道をされている方などもいらっしゃいます)、茶人というのは、芸術家である必要はない訳です。
陶芸家も「職人」の部分がない訳ではありませんが、芸術家である必要は、すくなくとも茶陶をされる方なら必要です(よく、「職人七分、芸術三分」なんて言われます)。
工芸作家は芸術性を求められますが、茶人は審美眼が求められ、芸術性は必ずしも求められる訳ではないです。
もちろん、芸術性の高い茶人もいるでしょうが、その方は茶人である前に「作家」ではないでしょうか。
茶人とは「自分の感性を大事にしつつも、経験(過去の事例含む)と規矩(ルール)と故事(物語や由来など)を基に道具を組み、座を建立する」ことが本分であるとすれば、やはり職人なのではないでしょうか。
異論もあるかと思いますが、一つの一面であるともいえると思います。
以前、小説家に擬えましたが、ちょっと違う気もしてきました。
というのは、茶人は「経験と規矩(ルール)と故事(知識)によって道具組みするプロ」と捉えることができるからです。
デザインというのは「設計」という意味で、設計と言うと日本人は芸術家の領分のように思いますが、実は職人の領分です。デザイナーにセンスは要りません。経験とルールと広汎な知識が必要です。
茶人に似ていませんか?
もちろん、茶人にも、物作りをする人がいますが(陶芸家などで茶道をされている方などもいらっしゃいます)、茶人というのは、芸術家である必要はない訳です。
陶芸家も「職人」の部分がない訳ではありませんが、芸術家である必要は、すくなくとも茶陶をされる方なら必要です(よく、「職人七分、芸術三分」なんて言われます)。
工芸作家は芸術性を求められますが、茶人は審美眼が求められ、芸術性は必ずしも求められる訳ではないです。
もちろん、芸術性の高い茶人もいるでしょうが、その方は茶人である前に「作家」ではないでしょうか。
茶人とは「自分の感性を大事にしつつも、経験(過去の事例含む)と規矩(ルール)と故事(物語や由来など)を基に道具を組み、座を建立する」ことが本分であるとすれば、やはり職人なのではないでしょうか。
異論もあるかと思いますが、一つの一面であるともいえると思います。