年表を作りはじめたり、登場人物一覧を作ったりしておりますが、なかなか不明瞭なことばかりですね。

 利休が生まれた当時=大永二年には、今井宗久も津田宗及もまだ子供な訳ですが、この頃ですと、納屋宗二や、津田宗柏・宗達の時代な訳です。

 天正二年(1574)に信長が京都相国寺で茶会を催した際に招かれた会合衆は

 紅屋宗陽
 塩屋宗悦
 今井宗久(納屋)←納屋宗次
 茜屋宗左
 山上宗二(薩摩屋)←山上宗璧
 松江隆仙(銭屋)
 高三隆世
 田中宗易(魚屋)←田中與兵衛
 油屋常琢
 津田宗及(天王寺屋)←津田宗達←津田宗柏

 の十人。

 この内、今井宗久と津田宗及、田中宗易、山上宗二は先代が解っています。
 つまり、宗易が生まれた当時は、別の面々であった訳です。
 また、武野紹鴎は皮屋という屋号を持っていた商人であり、父信久が会合衆であったと考えられます。紹鴎は弘治元年(1555)に没しており、当時跡取りの宗瓦は六歳であり、家督できませんでしたし、今井宗久が皮屋を取り仕切っていましたので、皮屋の席(年寄株)はもしかすると宗久が継いでいたのかもしれません。
 天正二年には二十五歳になっていた宗瓦ですが、これ以前の永禄三年(1560)に十一歳で堺から追放されており、赦されて戻るのは天正十年(1582)のことです。

 さて、大永二年当時、紹鴎は二十一歳。ということは、父信久が生きており、皮屋の主であったと考えるべきです。

 現状、大永二年当時に会合衆であったろうと考えられるのは

 山上宗璧(薩摩屋)
 武野信久(皮屋)
 田中與兵衛(魚屋)
 津田宗柏・宗達(天王寺屋)
 納屋宗次

 となります。
 歴史と言うのは調べるのが大変ですね。