旅箪笥というと一般的には利休好の旅箪笥を思い浮かべます。
 旅箪笥は利休箪笥という別名もあるように、利休が考案して唐物より写して作らせた箪笥物です。桐木地で、引落金具によって閂します。

 このあたりのことは散々記事にしてきましたので、改めて書くほどのことではないのですが、旅箪笥宗和好を手に入れたので、記事にさせていただきました♪

 宗和というのは金森宗和のことで、宗和流の創始者です。
 現在、宗和流宗家は増田宗蒔宗匠がお嗣ぎになられ、存続しているそうです。
 金森宗和という人物は、現在の茶道でもよく耳にする「仁清」や「乾山」といった陶工を育てたり、飛騨に春慶塗を伝えて育てた人物です。金森家の長男に生まれたものの、豊臣政権に近かったため、廃嫡され京都に隠棲していたと伝わります。
 公家に茶道を広めた人物としても名が知られています。

 この金森宗和が考案した旅箪笥が、半巾の旅箪笥といわれています。
 これは、利休箪笥を半分に切ったようなもので、よく短冊箪笥と間違われますが、旅箪笥です。旅箪笥と短冊箪笥の最も大きな違いが「蓋の金具」です。

 旅箪笥=引手金具
 短冊箪笥=倹飩蓋

 また、用いられる時期も異なります。
 旅箪笥が炉の時期に限られるのに対し、短冊箪笥は風炉の時期に限られます(註1)。
 旅箪笥を風炉の時期に用いる流派もあるそうですが、風炉の横に置くと窮屈に感じませんでしょうか。私は故事(註2)から考えても、これは炉の時期のもの……と考えています。

 短冊箪笥はこの宗和好から発展して作られた箪笥物になります。
 元々は作法なしの野点で用いられた道具で各流派に決まった点前はなかったようです。
 短冊箪笥が「宗和箪笥」と呼ばれるのは金森宗和考案の箪笥物であることに由来します。

 話を戻しまして。
 金森宗和は、公家と交わるにおいて、雅な茶風を確立したことでも名が知られています。
 この中にあって、この旅箪笥を考案したのは、公家が「格式高いもの」を好むことと、和歌などを好んで用いることから、風炉に合わせた旅箪笥と、短冊をさらりと掛けられるものをとのことからではなかったでしょうか。

※写真には引手金具の閂がありません。


 唐銅などの風炉に木地の白さが美しく映える宗和好の旅箪笥。
 蓋裏にさらりと詠んだ和歌などを添えて点前をする内に短冊箪笥を考案されたのではないか……などと想像の翼が広がります。

 
 この後、旅箪笥と短冊箪笥は混同されたのか、好物(このみもの)なのか解りませんが、短冊箪笥の引手金具型などが作られています。また、桑木地のものや塗物なども作られるようになり(おそらくそれらも好物でしょうが)、柄杓の位置が逆になっている石州好旅箪笥、焼桐蠟引旅箪笥、溜塗旅箪笥などがあります。変わったところでは、右下隅に茶筌と棗を入れて置ける筧板がついた半巾の旅箪笥もあったりします。こちらもどちらの好なのか不明なのですが(笑)

 三千家では、表千家に杉木地で勝手用の旅箪笥小(碌々斎好)、杉木地(碌々斎好)、桐春慶塗(惺斎好)、春野旅箪笥(而妙斎好)や武者小路千家に梅棚、裏千家に棚板が一枚少ないもの(仙叟好)、春慶紅葉張(淡々斎好)があります。

 短冊箪笥では、裏千家に短冊箱(溜塗荒目内黒塗・鵬雲斎好)(註3)があり、遠州流では旅箪笥という名の短冊箪笥(溜塗・紅心好)が用いられています。当流では、先代より相伝されました笠井宗匠(私の師匠)が真塗を好まれています。

 炉の時期になってしまいましたので、使うのはまだまだ先ですが、御稽古していきたいと思います^^

こちらは比較用の短冊箪笥


註1)当流では大板を用いた炉の短冊点前があります。
註2)旅箪笥は小田原征伐の際に利休が秀吉の命で、諸将をもてなした茶席で用いられており、この時期はまだ炉の時期であり、芝点前とは「夏間近だがまだ寒い季節に夏の緑の爽やかさを感じてもらう」趣向であったと考えられる。つまり芝点前とは野点の点前ではないということになる。
註3)近年「短冊箱」と呼ばれるのはこの裏千家の棚物の名前であるようです。