規矩作法守りつくして破るとも
はなるるとても本を忘るな

 利休百首の中にある茶道の基本を歌っていると私が感じる一首です。

 規矩とはコンパスとさしがねのことで、寸法や形を意味する言葉です。ここから、考えや行動の規範という意味が生じました。

 つまり、茶道における式法のことです。

 作法は起居動作や身形のこと、つまり、立居振舞のことです。

 守りつくしてとは、規矩作法を教わった通りに習得することです。自然とそのようにできるようになり、その意味と意義を身につけて初めて「つくす」かと思います。

 破るともとは、規矩性に囚われず、自由に道具組や見立てを行うことや、作法を変えることかと思われます。

 はなるるとても本を忘るなとは、規矩性や作法を変えたとしても、基本を忘れてはならないかと思われます。

 では基本とは何でしょうか。

 人によって茶道の基本は色々な答があるのかもしれませんが、私の答はたった一つです。

 合理

 しかあり得ないと思うのです。

 中尾真能が定めた台子式法にすべてを発する茶道の式法は、珠光、紹鴎、利休という宗匠らによって合理の塊となり、無駄を削ぎ落としたものであると、私は感じます。

 つまり、規矩や作法は改めたとしても、その根本にある合理は曲げてはならない…ということではないかと思います。

 だからこそ、古流や表千家は古いという内部批判があったとしても本来の形のままを受け継ぎ、伝え、繫いでいるのではないでしょうか。

 はなるるとは分派のことかもしれません。つまり、千家流であれば、表千家の流儀をはなれたとしても、表千家が受け継ぐ合理を失ってはならない(表千家の流儀や作法ではなく)ではないでしょうか。

 数多ある流派も、本宗の絶えた東山流や伊勢の寺院で受け継がれる珠光流、京に今尚残る藪内流を除けば、すべては利休の流れを汲むものです。

 そう考えると、もっと自流を知るためにも、茶湯を深く味わうためにも、合理を知ることが肝要ですね。

 もっと、もっと、もっと、もっと…私は知らなければなりません。流派を次に繋げるためにも、自分の成したいことのためにも。

 焦らず、驕らず、一歩一歩。

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