結論から言えば、当然「時代を経たものが良い」と言えます。

 陶磁器の釉薬は(特に青瓷は)百年経たなければ透明感が増さないとも言われます。故に稽古物だったとしても時代を経たものがいいものになっていくのです。
 また、茶道具を後生大事に保管しておいても好さは生まれません。
 茶道具は使われてこそ好さが生まれます。
 水や茶の浸み、手垢、経年劣化による渋み。そういったものは茶道に於いてとても価値があると考えられているからです。

 しかし、です。
 それは誰かが「好い物だ」と思った物でなければ意味がありません。
 駄物を後生大事に持っていて大切にしたとしてもそれは「駄物」に過ぎないのです。

 Twitterで「古物六割」と仰っていた方がいらっしゃいましたが、まさにその通りかと思います。実際にはもっと少ないとは思いますが、そういうものの場合、駄物は自然淘汰されてしまい残って来ないからです。

 このため、茶人は誰であっても「○○斎の箱書が~」「●代××の作品で~」と古物を大事にします。

 故に、私は現代作家の物を集めています。
 古物はほかの方々に任せます(笑)
 私は現代に生きる作家の中で「好い」と思った物を集めたい。

 これは利休や織部が生きていた当時「古物」ではなく「今焼(国焼)」に注目したということも一つにはあります。当時の古物は唐物です。現代に置いては当時の和物や後窯でさえ、当時の唐物と同じように雲の上です。大名物に至っては写を手に入れることしかできません。私は利休や織部のような大人物ではありませんが、「古物を好し」と思いながらも、そこにはない新しい茶の美を求めたいと思うのです。

 へうげた旦那衆の茶。

 これこそが私の求める茶。
 他人は関係ありません。

 とはいっても、お勧めしませんよ。私と同じ好みはw
 理解されないでしょうし、おそらく異端視されます。
 ですが、現代の作家だって素晴らしい物をたくさん世に送り出しいているのです。
 故人ばかりを大切にせず、今生きている作家を愛して、後世に残していきません?なんっつってw

 故き好き時代経たる器とて
 見出せたるは今その刻と 月甫