裏千家の方に確認いたしました。
 こちらは十四代無限斎のころに、坐禅の手を返して右手を上にすると定まったのだそうです。
 それまでは裏千家も左手が上だったようですね。

 これは茶の湯の家元であった無限斎が、求道としての茶道への変革を志し、裏千家の流儀を統一するために淡交会を組織して、茶道という「道を追究するための集団」へと変化させようと、「坐禅を手本になさった」ということのようです。

 結論からいえば「裏千家の茶道をする人たちだけのもの」であって、礼法ではないという点に注意が必要かと思います。

 なぜこんなことを言うのかと言いますと、「茶道というものの権威」が問題になってくるからです(何も知らない人は裏千家の先生がこうしていたからこれが正しい!なんていいかねません)。

 現代社会において、礼儀作法が親から子へと伝わらなくなったということもありますが、「礼儀としての形」と「求道としての形」が違ってきている場合、異文化に伝える際に「○○流ではこのような理由からこうします」でなければ、通用しないからです。

 知らなければ、伝えることはできません。
 伝えなければ人は勝手に「理由を考えて変質させてしまう」のです。
 故に、こういったものはきちんと伝承されなければなりません。

 表千家は古来からの日本の作法で「左手が上」、裏千家は十四代無限斎が流儀統一の際に坐禅の手を返して作法としたことから「右手が上」ということを、裏千家でなくとも知っておくことが肝要と思います。

 また、どちらの足から入るか?についても「陰陽で説明するのは誤り」であるとのこと。
 当流では、「客に憚って客方の足から入る(亭主と客を区別するため)」となっています。左足で入るのは、古来からの作法であるということに対して、裏千家では右足(客方)とのこと。坐禅の右手と同じように揃えて右足ということになったのでしょうかね。


 BASADRさん、ありがとうございました^^


【追記】

 部屋に入るのは、古法では「柱付の足より入る」であったそうです。


 表千家は茶道口の設えを背口を基本とし、裏千家は腹口(廻り茶道口)を基本としているから左右が違ったのではないか?というお話でした。