上手にはすきと器用と功積むと この三つそろふ人ぞ能くしる

【解説】
上手というのは、上手い下手ではなく「上達するには」の意味です。

すき

すきは「数奇」。「好き」ではないです。
「数奇」は風流・風雅に心を寄せること。また、茶の湯・生け花などの風流・風雅の道。
目利きであることも含むかと思いますが「本質を見極めて道理を理解すること」と解す方が自然です。数寄には知識や教養が必要ですね。


器用

「器用」とは器用不器用の器用とされていますが、なんか違和感があります。
器用を辞書で調べますと……


1 からだを思うように動かして、芸事・工作などをうまくこなすこと。また、そのさま。「手先が―だ」「―に箸(はし)を使う」

2 要領よく、いろいろな物事を処理すること。また、そのさま。「何事も―にこなす」

3 抜けめなく立ち回ること。また、そのさま。「世渡りが―だ」

4 不平不満なく、受け入れること。いさぎよいこと。また、そのさま。
「なんにも言わずに、―に買っときなさい」〈里見弴・多情仏心〉
「気遣ひしやるな、逃げはせぬと、もっとも―な白状」〈浄・淀鯉〉

5 すぐれた才能のあること。また、その人。
「武家の棟梁(とうりゃう)と成りぬべき―の仁(じん)」〈太平記・一三〉

とあります。
一般的な解釈は(1)のことですが、この場合の解釈は(1)とすると非常に違和感があります。それよりは(4)の方がまだ納得が行きますが、それよりは、(3)の解釈を茶道具の在り方――というよりは「読んで字のごとく」解釈するのはどうだろうか?と思ったりもする訳です。
また、器用には「人柄」の意味もあるので、そっちかもなーと。
つまり、人柄がよければ、茶会(この場合は茶事)にそつがなく、愉しい時を過ごせるというね。

「点前の所作の上達」のことというよりは「茶湯の上達」に言及した狂歌だと思うのですよね。


功積む

「功積む」とは「経験や努力の積み重ねで出てくる効果」のことで、努力を続けることを言います。稽古に励めということではなく、茶湯を続けていくことで、数奇も器用もその人なりの上達があるということです。



なんとなく、一般的に流布している意味は表層的で、仏法的な本質を論じていない気がしてならないのです。