答えがでている訳ではないのですが、なんか違うんじゃないかなぁ~と感じることは多いです。昨日の記事にコメントをいただいて、改めて考えましたが、やはり違うのではないかと。

 流儀の中で、こうであってほしい、こうありたいという個人的な考え方は構わないと思います。
 しかし、それを他人に強制できるのは家元と若宗匠、それと弟子に対しては師匠だけではないでしょうか。

 特に道具については「自流ではこう、他流ではこう」というものがあります。
 歴代家元の箱書きを珍重する人がいてもいいし、気にしない人がいてもいい(といっても流儀の茶会では大日本茶道学会や裏千家ものはダメという風に気にすることは必要でしょうけれど)と思います。
 稽古で使う道具についてはそれこそ、誰かが口出すものではないのでは。

 もちろん、道具の扱いは箱から出すところから、仕舞うところまでですから、箱のあるものの方が御稽古にはなりますので、私もできるだけ、箱のあるもの・作家が解るものを集めています。

 ですが、この道具の集め方は、自由ではないでしょうか。
 もちろん、お流派によっては「先生から紹介されたところで買い求める」ということが基本になっているところもあるでしょうが、師匠は自由に買いなさいとおっしゃいます(師匠も自分で買って、先代にいろいろお尋ねになられたとか)。

 昔から「茶杓を自作する茶人は多い」です。今はあまりないですが、自作の茶杓を贈ることは普通に行われており、宗家や裏の歴代家元も自作の茶杓をお作りです。もちろん、比較できるほど私は偉い茶人ではないですが、自作の茶杓は普段使いや稽古用としてではなく、作りたいですね(自宅で茶会や茶事をするときの趣向の一つとして自作のものを)。

 安かろうが高かろうが大事に扱うこと。
 大切に使って伝えていくこと。
 そういうことが大事だと思うのです。

 道具は活きています。
 いいものもあれば、駄物もあります。
 ですが、それを見抜き、買い求め、自分で慈しんで育んでいくことが大事。
 高い作家もので誰それの箱書きがあって、それがいいんでしょうか。
 それが「自分の感性にあって、いいものだ」と思えるのならよいでしょうが、私にとってはあまりそこは価値がありません。

 銘は自分で決めればいいし、高名な作家でなくても自分が気に入っていればいいし、取り合わせが合えばなおいいし、調和の取れる道具立ての一つになるのであればいい。

 これは「私の好みです」が、【歴代家元の箱書きのものだらけで、そこを強調されるようなお茶会は正直好きではありません】ね。もちろん、ご亭主がそういうことがお好きならそれを否定はしません。うわー、お金掛かって大変でしょうねぇ~とは思いますけれど。

 取り留めなくなってきましたが、道具を買うのに、他人にあーだーこーだ言われたくないです。