茶道との出会いは、母である宗靜先生が茶道を習い始めたことによります。

 元々、袴が好きで始めた剣道も、体格的に当時身体の小さかった私は強くなれないことでやる気を失ってました。

 そもそも体を動かすことが余り好きではなく、運動神経もいい方でなかったのです。

 小学校三年生のときの担任が、母と懇意にしており、母が自営の陶器店で日 緑茶を扱いはじめたのがきっかけで、茶道を勧められたのです。母の先生は担任の娘さんでした(笑)

 で、お稽古に行くのに、私一人を置いて行ってもいいのですが、私は家に一人で居るのが嫌いでしたので、毎回ついて行くようになりました。

 そんなある日、母の先生が、やってみる?と仰って、私も習い始めました。

 当時、秀吉の黄金の茶室に魅せられていた私は茶道が愉しくて仕方ありませんでしたが、中学に入ると全寮制の学校に入ったため、しばらく茶道とは無縁の生活を送るようになりました。

 もちろん、お茶会は用事がない限り行ってましたが。

 そのうちに、お茶よりも元々好きだった歴史を調べる方に熱中して行きました。

 成人してからも、お茶会すら行ったり行かなかったり。時々、点茶して飲みはしました。この間も陶器に興味が出て調べたり、和歌を詠むようになったりとのちに茶道に役立つことはしていましたが、当時はそれが茶道に繋がるなんて全く思っていなかったですが(笑)

 転機は、母の先生から連絡があり、先生の娘さんが茶名披露するから手伝って欲しいと言われた時からです。毎週、和服を着て稽古に出かけました。

 あの時のお点前は瓢棚。
 とにかく何回も何回も稽古して、本番に臨みました。当流では点前は奥伝以上という決まりがあるのですが、先生の「言わなきゃわからないわよ~」で点前することが決まりました(苦笑)

 三ヶ月。がむしゃらに稽古を続けました。後にも先にもあれほど稽古をしたことはありません。何時間も座りっぱなし。先生に見てもらわずに復習もしました。

 しかし、先生は学校の教師であるため、稽古をつけられなくなっていたのです。それはおかしい。茶道を生業にすることはまずできない。これでは旦那の茶道は廃れるわけだと感じました。

 しかし、規則は規則。今回は月謝もなしでの稽古だから良いとして…今後はどうしたらよいのかという話に。

 家元に相談の結果、家元に習いに行くのも曜日の関係で難しい。成増の先生を紹介されるも、後で先生に戻れなくなるのは困る…という主張に、先生の先生……大先生が好い!という話になりました。

 母は既に教授ですので、預けられの身。私は一から教えていただくことに。

 月に一回だった行っていた稽古は瞬く間に月四回…毎週行くようになり、宗匠から伝書をお預かりして、まとめることに。

 そして、今の自分に足りないものをそう洗い。

 相伝書を作り直すことにしました。それが今に続いている訳です(笑)


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