8年前あの頃は震災の中何も出来ずただTVから見るニュースで流れる映像をただ茫然と見てるだけだった。
あの時の自分でも何か出来ないのか?
その当時はFMラチオ局が被災地にラチオを送る企画があり、使ってないアウトドア用の手動発電機付きのラジオ被災地に送ったくらいしかできず。
日々あり得ない世界の出来事を眺めるだけの日々で、そのあり得ない世界の中で
当たり前に救助救援してたのが自衛隊!
一般の自分でも自衛隊の活動の手助けが出来る「予備自衛官補」制度は知り合いが一般の予備自衛官補にチャレンジしてたので、制度は知っていましたが
当時33歳の自分が一般で予備自衛官補になるには年齢的に厳しくて
整備士2級を取得してるので技能での予備自衛官補にチャレンジしてみるが
予備自衛官補の面接、試験受けた事ある方は解るかもしれませんが
自衛隊地方協力本部で何度か面接の練習は行いましたが
3度も予備自衛官補の試験を受けるはめに…
平成31年 近状天皇陛下での年に無事念願の「予備自衛官」になれました。
そして旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故の時速やかに住民を移動する事が出来たのは、バスでの人の大量移動を行ったためチェルノブイリでの一般市民は事故後数時間で撤退出来たという報告を知って、今はバスの運転手してます
今自分が予備自衛官となりバスの運転手で居るのは
8年前のこの震災で自分なら何が出来ると考え行動した道が現在に至る。
でも予備自衛官が表立って活動する事が無い事が一番望ましい状態なので
色々矛盾した道走り出しちゃったな(笑)