国語と私
こんな事を書くと怒られそうだが、どうして私は国語の教員をやっているんだろうとたまに思う。
学生の頃から好きな教科ではあった。
四月に配布される教科書は、もらったその日のうちに全部読んでしまう子どもだった。
別に勉強というわけではなく、純粋に「読むと面白いから」読んでいた。
何度も読み返すので、いざ授業に入る頃にはもう飽きて退屈で。
あまり先生の話は聞いていなかったが、いつもテストをするとなんとなくいつもいい点が取れた。
そうだ。私の弱点はこの「なんとなく」にある。
別に苦労して勉強せずとも、国語だけはクラスの皆を引き離す点数を獲得する事が出来たのだ。
勢いそれで私は「国語が得意」と先生にも友達にも目されて来た訳だが、果たして私は本当に国語が「得意」なのだろうか。
ただ単に「国語のテストで高得点を取る事が出来る」特技を持っているというだけではなかっただろうか。
実際、この特技を以ってして大学受験を成功させる事が出来たわけだが、労せずして大学入学の切符を得てしまった私は、ここでそれ以上自分を伸ばそうとする事をやめてしまった気がする。
ここに駄文を露呈していることからもわかるように、文章能力を磨くことも、薫り高い文学にすすんで触れる事も無く、いたずらにここまで齢を重ねてしまった。
生徒に聞かれると困るのだ。
「どうしたら国語の成績が上がりますか」と。
この教科について努力した事の無い私は答えようがない。
強いて答えるなら「好きになる事」だが、好きになろうと思ってなれるものではない。
およそ、この質問をしに来た生徒にとっては無意味な回答である。
そして私はいつも途方に暮れるのだ。
でも。
これからは生徒と共に、国語という教科について研鑚を積みたいと思う。
そしていつか問いに答えられる日が来れば嬉しい。