ある冬の富士山。手前の宝永山がクッキリ。
1707年(宝永4年)今から315年前に噴火して誕生したのが宝永山ですが、愛鷹山から観るとコレ↓
山というよりは火口の淵の盛り上がりを指している事がよく分かります。
私の畑(音楽史)からすれば、1707年はバッハ、ヘンデルが32歳、イングランドが合同法によりスコットランドを併合。
それにより大陸の作曲家がロンドンはもとよりスコットランドまで活動範囲を拡げて行きます。
面白いのはいつの時代でも、手短な異国の情緒が音楽として流行する歴史の繰り返し。
バロック後期の作曲家も然り、ヴェラチーニ達がスコッツ風の楽曲を出版している。
そして150年後のロマン派のドヴォルザークのスラブ舞曲集、ブラームスのハンガリー舞曲集、リストのハンガリーラプソディなど、ちょっとした未知への遭遇はいつでも魅惑的なのでしょう。
如何に音楽愛好家達の機微を察して、売れる曲を出版するか、いつでもおんなじ人間の欲得がこれらの名曲を育んで来た背景と観てとれます。
さて、宝永噴火から脱線し過ぎました。
昨年秋に自宅から徒歩のみで出掛けられる市内のお浅間さんに出掛けて参りました。
その名も海老名は今泉郷に在る「浅間大神」
厳つい名のお浅間さんですが、実際に足を運んでみると田園と住宅街の近郷に佇む森の鎮守の社そのもの。
自宅から1時間以上歩き、広大な田んぼの果てに目指すお浅間さんが在るはずですが。
見えてきたのは、近年の日本酒ブームで一躍脚光を浴びたトンボのロゴでお馴染み「泉橋酒造」。
恐らくこの裏が目的である浅間大神かな?
いえ、奥手に本殿が見えてきました。結局この小さな社はなんなのか分かりませんでした。
こちらは神主様が座間の鈴鹿明神社と兼務されているとの事。
鳥居と脇の梵鐘
大事に整備されておられます。
では鳥居よりお邪魔します。
なにせ立派なイチョウ
鳥居の手前にも境内にも灯篭が多いですね。
狛犬も負けじと護っておられます。
お詣りを終えて、グルリと散策。
そこらじゅうに銀杏が落ちていますが、無傷なものがない!
近隣の皆さんの旬菜なのでしょう。
では御約束の由緒
30年以上前の立て看板、加えて近代日本語にしてなかなか解読が難しいですが、①延暦元年(782年)領主、橘重信の邸宅入り口辺りの土地を使って社を作ったのが建立の興りの様ですが、解読が間違っていたら御指摘お願いします。
安土桃山より前の時代を余りにも知らない私にとっては、まさに未知との遭遇、歴史の情緒タップリに感じます。
ちゃんと由緒、沿革を読んでも、はてはて。
文永8年(1271年)の日蓮佐渡流罪の際の感謝の真筆が残っており???450年すっ飛ばして、
②享保3年(1718年)再営
安政3年(1856年)大破損〜翌年改修
ここで冒頭の宝永山に話が戻る訳です。
②について事実に基づく推論を述べれば、1707年富士山が大噴火して11年後に畏怖の念から、この浅間大神を再営し祈祷を捧げたのでしょう。
そして、そもそも領主が①で782年に建立、の一年前がまさに天応元年、富士山噴火が確認されている歴史上2番目に古い噴火の年です。
このお浅間さん参りもまだVol.2なのですが、
これは期待を上回る展開となりそうです。
今年の8/1には是非とも、立て看板の情報を頼りに「お浅間大神」の例祭日にお詣りしたいと思います。