90年(14歳)の夏前が2回目のグラフトン訪問。

この時はこの年の8月から始まるセイクレッドラン・ヨーロッパに参加する為に、まずアメリカ組と合流してからヨーロッパ入りするので、その数ヶ月前からアメリカに入ってグラフトンでピースパゴダの建設に携わることになった。

 

当時成田からNY行きの直行便は出ていたが、今みたいにLCCだのその他の格安航空券なんぞない時代、流石に1ドル300円ではなかったけど、それでも1ドル150円オーバー、やっと見つけた大韓航空でも大体20万円以上、、、

 

成田発ーソウルーアンカレッジ経由のJFKやったかなこん時。

 

軽く20時間越え。

もうこの年(14歳)からは完全一人での行動にも慣れっこ。

 

たしかJFKまで純さんが迎えに来てくれて、当時まだマンハッタン島内の古いアパートメントの一室にあった日本山のニューヨーク道場に一泊して、そっからグラフトンに向かった記憶がある。

マンハッタンからハドソン川沿いに北へ北へとハイウェイ87号線をまずは4時間ほど車を走らせ州都のアルバニーを目指し、そこから東へ7号線を通り、アンクル・サムの出身地トロイの街を抜け278号線から2号線に入ればもうすぐグラフトン。

 

青森の北部か北海道の函館あたりと同じぐらいの緯度にある、このニューヨーク州北部は白樺や楓を中心とした落葉樹に覆われ、春夏は清々しい緑、秋は京都などのモミジとはまた違った淡い色合いのそれは見事な紅葉に囲まれる風光明媚なエリア。

 

っと、いうような場所にあるグラフトンピースパゴダの建設現場、ここにこの年の夏、ほぼ純さんと二人きりで仏舎利塔の建設を進めることになろうとは、、、

 

僕がグラフトンに入ったこの夏前あたりはまだ基礎打ちの段階で、それも地面からようやく2メートルほど出ただけのものだった。

 

ちなみにこの仏舎利塔完成後の大きさは、高さ15メートル、直径30メートルの綺麗な半円のドームの上に、さらに15メートルの九輪やらがつくまあまあの大型建築。

 

その基礎打ち、全て僕と純さんの二人での手作業、流石に電動のコンクリートミキサーはあったけど、鉄筋切って、番線で結わえて、木の型枠をシノっていう鳶工具を使い番線で固定して、どんどん上へ伸びていく基礎にハシゴをかけて、バケツに入れた練りたての生コンをハシゴで上り型枠の中へ投入、その際バケツに入れられる生コンはバケツの3分の1の量。

それを過ぎると重さでバケツが壊れてしまうため、、、、

 

純さんが主にコンクリを練り、僕が重たいバケツを抱えてハシゴを上り投入する役目。

投入が終わると電動のコンクリートバイブレーターなんぞなかったので、木槌で周りを叩き、細いめの角材を打ち立ての生コンに突っ込み、中の気泡を脱泡する、これをしないとボロボロの基礎になってしまうのでね。

 

午前中にコンクリ打ちを済ませ、午後はすでに固まっている基礎から型枠を外し、その型枠を綺麗に洗い、必要なら修理を施し、次の日の為に準備するってのが、毎日のルーティーン。

 

そんな感じの作業なので一日で打てる基礎は1本のみ。

それも高さ約1,5メートルほどだけ。

 

そうやって純さんと14歳の僕が二人で延々と基礎打ちしてる図、まあまあシュールやね。

 

日陰に入れば過ごしやすい気候とは言え、作業してるのは全く逃げ場のない炎天下の陽射しの下、多分これがその時点(14歳)では生まれて初めての、

 

過酷な労働体験だったんやなかろうかww

 

っとは思うが、それはそれで毎日楽しかった、、、よね?

 

 

っと、今日はここまで

 

 

 

で、これが100年以上前の馬小屋のグラフトン道場

写真提供:室作 猛 氏