朝5:55の目覚ましで目を覚まし、ベッドルームから飛び出し玄関を開け、犬達を外にやり、いつもの位置から東の空を携帯のカメラに収め、SNSのストーリーにアップする。

 

その後すぐキッチンへ行き使い古したミルクポットに水を注ぎ、ごく弱火で火にかける。

 

それからリビングの二つあるドアを開け拡げ、その内の一つに陣取り、坐禅を組み、瞑想の真似事なんぞしてみる。

出来るだけ無になろうとするが、雑念と煩悩に溢れる我が頭と心はただひたすら常にお祭り騒ぎだ。

 

そんな中でもただただぼーっとする事もあれば、ときたま集中が高まる時もあるので、これが中々面白い。

そうこうしてるうちに朝の見廻りから帰って来たワンコ達が、聖者気分に浸っている僕の顔に突進して来て、フンフンフゴフゴするので、妄想中の僕の意識はたちまち現実世界に引き戻される。

 

今日、北半球は夏至。

 

でも僕の住んでる南半球は逆なので冬至になる。

日が短いのである。

 

だから朝の6時前はまだ暗い。

そんな中で庭を眺めながら、そこら中で鳴いている無数の鳥の声、虫の羽音、風の音、木々や草花のざわめき、遠くに聞こえる車やバイクの音、空に浮かぶ凧の鳴りゴマの音などを聴きながらただただ眼を閉じる。

 

無限の青に包まれた世界に身を浮かべ、眼を閉じる、そして数分、長くても十数分の後、眼を開く。

 

一転

 

目の前に突如として現れる別世界。

数分前まで世界を支配していた青は何処にも見当たらなく、あらゆる輪郭がはっきりと際立ち、そして数分前には存在していなかったはずの色が僕の目に、頭に、心に飛び込んで来る。

 

この瞬間が大好き。

 

そして丁度この頃、火にかけていた湯が良い塩梅に沸くのでそれを湯呑みに注ぎ、ダイニングテーブルに置く。

子供達の日本語や算数の勉強のためにプリントアウトした使用済みのA4紙を裏返し、そこに般若心経を写経する。

 

写経が終わる頃、これまたええ塩梅に白湯が温くなっているのでこれを一気に飲み干す。

この白湯が大概の場合その日初めて口にするものになる。

 

この般若心経の写経は、僕の音楽・心・人生の師と仰ぐ金さんこと金大煥先生、そして金さんの日本の息子と呼ばれ、僕の兄貴分でもある大倉正之助氏の日課であることと、9歳の時に訳もわからず漢字に興味を持った僕にうちのおかんが渡してくれたのが般若心経、それで個展まで開いてしまったのだから写経しない理由はない。さしあたってやる理由もないが、、、

 

あえて言うならば僕は無宗教だ。

今はなくなってしまったが元実家には南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の仏壇がそれぞれと、神棚が7箇所ほど、それに加えインディアンの聖なるパイプや、広島の原爆の残り火などが一時あり、更に世界中からあらゆる人種や民族が出入りしていたので、それその時に縁の深い神だのカミだの紙に手を合わせたり合わせなかったり。

ちなみに僕はある意味(ここ大事)では無神論者でもあるし、そうでもないし。

 

神だの仏だのそういった事を否定はしないが、たかだか人間の生み出したそういった物に甚だ興味がないだけである。

しかし反面、世界中に存在するあらゆる音楽、芸術、文化といったものは、宗教や信仰が多大に起因することは事実として興味深いし、なんなら僕の大好物である。

 

っとまあ、こんな事を考えながらブログを書き、朝ごはんの準備をし、僕の1日は始まる。

 

すでに3ヶ月に及ぶ自主隔離生活。

 

いつ仕事が再開しても万全の体制で臨めるようにと、体調管理を主体とした規則正しい生活のために始めた朝活ではあったが、体調管理以上に得難い時間を過ごせたように思う。

 

それも明日からは少し変わりそう。

 

明日から3ヶ月ぶりに仕事が再開する。

 

とはいえ朝イチでサーフィンに行ったり、子供達の学校が再開しない限り家で過ごす時間にさほど変わりはないので、まだしばらくこのルーティンを楽しめそうだ。

 

 

っと、今日はここまで

 

2020年 6月21日

 

 

PS,

今朝ブログを書いている時、サプライズで子供達が一生懸命作ってくれた父の日プレゼントを持ってきてくれて、涙腺が緩んだのはここだけの話。