アラン・ドロン(1935-2024)が亡くなった。88歳だった。知らなかったけど、フランス語で、アラン・ドロンはAlain Delonと書くらしい。

 

 

 

 

私の思春期に「二枚目」「ハンサム」と言えば、アラン・ドロンだった。彼はハンサムの代名詞でもあった。あまりにハンサムでため息が出ちゃうほどで、だから所謂ハンサムとは違った格好良さのあるチャールズ・ブロンソンに憧れたりもした。体を鍛えればブロンソンのようになるかとも思ったけど、実はブロンソンは足も長かった笑い泣き

 

アラン・ドロンは年を取っても渋かった。

 

 

だから、女性関係も複雑だった。遺産は100~500億円くらいと言われていて、当然、その相続で遺族が揉めた(揉めている)。

 

彼が35年くらい前から付き合っている日本人女性ヒロミ・ロランが最期の付添人だった。21歳年下で、籍は入っていなかった。ヒロミが「アラン・ドロンを虐待した」とか「閉じ込めた」とか「ペットを虐待した」とか他の親族がヒロミを起訴したけれど、法廷は無罪を判決した。ただの遺産争いだった。

 

 

シネマの怪物が虐めにあう | 長谷川たかこのパリのふつうの生活

 

私のイメージの中では、アラン・ドロンは、小説で言えば『赤と黒』のジュリアン・ソレルか。「才気と美しさを兼ね備えた、立身出世の野心を抱く新時代の青年」といった感じ。立身出世のためならば、なんでもする。随分年上の女性とも寝るし、聖職者を目指したり、邪魔者を殺したり。栄光を手に入れるが、幸福からは遠い最期を遂げる。美貌には危険さも垣間見えた。

 

彼は所持許可のない72丁の拳銃や3000発の弾薬などを持っていた。

36匹の犬を飼っていたのだけど、彼の遺言では、彼の遺体とともにこれらの犬を一緒に葬って欲しいと書かれていたらしい。実際、どうなったかはわからない。

 

 

「ショック療法」という映画でアラン・ドロンが全裸で海外を走るシーンがある。当然、日本ではボカシがあってナニは見えなかった。私がはっきりと覚えているのは、中学生の時に同級生のO君が

「欧米では、アラン・ドロンのオチンチ〇が、左右に激しく揺れる場面がばっちり見えたのかなぁ~」

と言ったこと。そんなこと考えてもみなかった。

 

 

「ボルサリーノ」で彼が被っていた帽子はイタリアのボルサリーノ社のもの。

 

 

 

このボルサリーノを麻生太郎も愛用している。

 

2018年5月20日 | オーダースーツ コルヴォ【公式サイト】

 

 

 

今の30歳前後の若者にアラン・ドロンって言っても、誰も知らないでしょうね。だって、あれからもう50年以上の歳月が流れたんですから。

 

思い出のある人の訃報は、一抹の寂しさを感じさせます。

 

まだ、生きている私は、今を生きよう。