NHKの映像の世紀は毎回面白い。

先日観たのは「安保闘争 燃え盛った政治の季節」。

 

私が大学生のときには、ほぼ完全に学生運動というのは終わっていた。

私はその後の白けの世代で、社会人になったころはバブル期の始まりだった。

 

「学生運動」とはなんだったのか。

「安保闘争」とはなんだったのか。

 

 

 

日本の終戦は1945年ということですが、その後、日本はまだ独立国家とはなっていなかったというのをご存知ですか?1951年のサンフランシスコ平和条約でやっと日本は独立したんです。1945年で無条件降伏をしてから1951年までは、GHQ,米国の支配下にあった。サンフランシスコで連合軍と日本はこの条約を締結した。日本側で署名したのは吉田茂。この時、日本は様々な権利や領土を放棄するとともに主権は認められ、独立国となった。そして、同時に日米安保条約にも署名した。1946年に米国が作った平和憲法である日本国憲法を公布したばかりなんですけどね。

 

第二次大戦が終わった途端に、資本主義と社会主義との冷戦が始まった。

 

ほぼ同じタインミングで朝鮮戦争も勃発していた。米軍は日本に米軍基地を置き、朝鮮戦争を戦った。日本は主権を回復したというけれど、実質、米国の軍事支配下にあった。学生運動の始まりは1955年から1960年に起こった砂川闘争。米軍のための立川基地の拡張に住民が反対し、学生たちも加わった。戦後、平和と民主主義を教わった日本の若者たちが、同じアジア人を殺す戦争に加担することに反対したのだ。

 

 

 

 

そして、1960年安保。10年ごとに更新する安保条約。この時の首相岸伸介は、なんとしても平等な条約に変更したいと頑張った。平等な条約とはどういうことかというと、アメリカ軍が引き続き日本に駐留することの他、日本の領域内で日米どちらかが武力攻撃を受けた場合は共同作戦をとること、日米それぞれの防衛力を強化することなどが決められました。

 

 

 

 

第二次大戦がやっと終わって、これから平和な社会を築こうとしていたのに、政府が米国と結んだ条約は完全に矛盾しているのではないかと。そもそも日本国憲法と安保条約は矛盾するのではないか。

 

特に東京大学で学生運動が盛んになった。学生たちは大学に立てこもった。全学連の指揮をしたのは北大生の唐牛健太郎。リーダーシップのある庶民派インテリだった。

 

 

 

 

様々な人たちがデモに加わった。医者も看護婦も。

 

 

デモは広がり、うねりをつくって

 

 

機動隊が動員され、デモ隊は「鎮圧」された。

昨今の中国のように。

1989年の天安門事件のように。

デモ隊は手ぶらだった。

 

 

 

東大生という日本のエリート学生たちが権力と戦っていたのだけど、目の前で実際に戦っていたのは、どちらかというと貧しい家庭出身の警官や機動隊員だった。政治家と戦ったわけではない。

 

 

 

そして、東大の女子学生、樺美智子さんが殺された。

虐殺抗議運動も起こった。

 

 

 

やがて朝鮮戦争は休戦となるが、今度はベトナム戦争が始まる。

日本でも多くの軍事物資を作り、日本から米軍戦闘機、爆撃機がベトナムへ飛び立って行った。海外の戦争は日本の経済成長を支えた。

 

1968年に新宿騒乱が起こる。学生たちはどんどんと過激な左翼となって、武装して2000人が新宿の広場に集まった。野次馬は2万人集まった。左翼たちはベトナム戦争反対などを訴えながら、放火や投石を行った。(よってその後、新宿には「広場」が消えて「通路」になった)

 

 

 

そして、1970年安保がやってくる。

首相は佐藤栄作だった。岸伸介の弟だ。

 

デモ隊は、ヘルメットをかぶり、催涙弾や火炎瓶などで機動隊と戦った。東大安田講堂を占拠。しかし、このとき、かつての全学連リーダーだった唐牛は刑務所にいて参加できていない。

 

 

 

 

学生たちの親たちも心配で大学にやってきた。皆にキャラメルを配る「キャラメル・ママ」も登場。

 

 

 

ある母親曰く

「自分がおっぱいを飲まし、おむつを取り替えて

 

 

育てた子がああしてゲバ棒を振るなんて」

 

 

機動隊隊員たちも大変だった。

上からは塩酸、硫酸が降ってくる。

 

 

しかし、籠城していた学生たちは皆逮捕された。

 

 

そして、学生たちのデモも空しく、日米安保は自動延長された。

その頃、大阪では万博が開かれていて、三波春夫が「こんにちは~!」なんて歌っていた。多くの学生たちは「現実」の世界に戻って行った。

 

 

 

 

学生たちの就職の試験では、大学紛争に関する見解を求められたりした。

 

 

学生たちは、皆、髪を切り、Yシャツを着て、

「安保は現在のところ必要でしょう」などと回答した。

 

 

なぜか、皆、急に現実に目覚めた。

学生運動よりも、就職して、お金を稼ごうと。

「『いちご白書』をもう一度」の世界ですね。

 

 

 

1970年には赤軍派によるよど号ハイジャック事件も起きた。彼らは北朝鮮を「地上の楽園」と考えていて、そこに亡命したかったようだ。資本主義は貧富の差を生むが、「社会主義・共産主義は人民は平等で、競争もなく、国家が食料も医療費も住宅も教育費も出してくれる」という幻想があったようです。

 

学生運動は終わったかのように見えたのですが、赤軍派など過激なグループが依然と活動を続けていた。1972年赤軍派5人が銃を持って人質を取ってあさま山荘に立てこもり、警官も殺され、

 

 

 

もっと大勢いた仲間もリンチで殺されいて、遺体として見つかった。

仲間内で粛清が行われたらしい。

 

 

 

学生たちはユートピアを夢見ていたのかもしれない。

 

 

だけど、この世に楽園などなかった。

 

 

 

かつて全学連のリーダーだった唐牛(1937-1984)は、その後、北海道に渡り、アザラシ漁の船でコック兼雑役をしていた。

 

 

 

 

あそこまで学生たちの先頭に立って戦った彼が、大学教授だとか大会社の社員になることは、許されなかったのだ。

 

 

 

 

彼が34才くらいのときの映像だ。

「これから何をやりたい?」

と聞かれ

 

 

 

「わからない」と答えていた。

その彼は1984年に47才で癌で亡くなった。

 

 

 

 

 

見ごたえのある番組でした。

 

理解を深めるために、もう一度観たいと思っています。

朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本経済は復興したとも言われています。

他国を戦場にして戦って一番儲けたのは米国ですけど。

 

 

ちなみにこの家系図を見てください。

華麗なる一族です。

吉田茂も岸伸介も佐藤栄作も麻生太郎も安倍晋三も皆、親戚だ。

 

 

 

この一族にCIAなどから裏金などが渡り、裏からサポートして、憲法改正をさせようとしているような気がするのですが。米国のやり方は、その国の権力者をサポートする代わりに、言うことを聞かせる。そうやって懐かせて、ペットのように可愛がる。しかし、もし、ペットが噛みついたら殺処分するかもしれない。

 

 

平民のただの独り言です。