昨日はいつものように5時に起き、朝からテニスでした。

8時ころは風が強く、空気も冷たかったのですが、すぐに初夏の気候になりました。

 

 

 

合計6人。珍しくWさんの奥さんも参加しました。やはり一人でも異性がいると場が和みます。

 

 

 

テニス後は、妻不在のため、男飯。

 

 

 

 

最後の一食分を簡単に作って食べました。

ニンニク、生姜、ネギ、ワカメ、豚バラ肉、キクラゲをトッピング。

 

 

 

 

テニス疲れもあったし、夜に備えて、食後は3時間も昼寝をしました。

 

そして、いざ、同窓会へ。

高校2年、3年のときの同窓会です。2年と3年はクラス替えなし。場所は横浜市の戸塚です。先生の自宅の最寄り駅。5年ぶりです。

 

早めに戸塚駅に行き、ゴディバで3000円ちょっとのチョコレートを2箱買いました。いつも幹事でお世話になっているT嬢と、以前何度かお土産をもらったY子さんへの気持ちばかりの心づけ。もう、いつ二度と会えなくなるかわからないので、生きているうちに御礼はしておいたほうがいい。

 

買物を済ませて、さらに時間調整をしていたら、大きな声で

「ダー君!」という声がして、みるとT嬢。彼女は声がとても大きくて、そして、お酒が強い。他にも同窓会参加の女性が3人くらいいて、一緒に会場へ向かいました。

 

 

いつもは5000円くらいで適当な居酒屋か安いホテルでやっていましたが、今回は、少し奮発しました。きじまというお店。

 

 

独特の高級感のあるお店です。

もう前期高齢者なんだから、たまにはこういう静かなお店でやるのもいい。

 

 

 

何人くらい集まるのか聞いていなかったのだけど、15人も集まりました。

alumni(アルムナイ)ですが、同じクラスの人たちだけです。名簿を見たら、既に3人は亡くなっていました。2人は消息不明。多くは依然として横浜在住です。

 

 

 

 

入口外で煙草を吸っていたN君がO先生の来店とともに、あの赤い階段を先生によりそって入場してきました。先生は我々よりも30才年上。今年95才なんです。元気は元気なんですが、それでもやっぱり年を取ったなという感じです。

 

 

 

 

「皆さん、こんばんは!お久しぶりです。私も今年の7月で85才になります・・・」と言うもんだから、「え!?95才ですよね」と言ったら、「あー、95才か」と。

皆は「先生の冗談だよ」って言ってたけど、私にはボケとしか思えなかった。

 

「耳が遠くなった」というので、先生にはすごく大きな声で話したのだけど、よく見たら、ちゃんと補聴器をしていた。

 

 

 

お刺身のイカは生き造りです。

少し動いていた。

 

私は風邪でアルコールは控えていたけど、この日は飲んじゃいました。

 

 

 

 

同窓会に来る顔ぶれは大体固定化してきたのだけど、K君は久しぶりだった。30年ぶりくらいか。かなり太って、杖をついて来た。何かで体を悪くしたらしい。独身で、高校時代に住んでいた住宅に今でも住んでいる。昔何度か遊びに行ったことがある。

K君いわく

「ダー君と言えば、思い出すのはホテルカリフォルニアだなぁ。アルバムを持ってきて一緒に聴いたんだよ。そして、歌詞についていろいろと蘊蓄を聞かせてもらった。ちょっと難しくてよくわからなかったけど。でも、今でもイーグルスは聴いているよ」と。

へぇ~、そんなこと全然覚えていなかった。それにしても蘊蓄を垂れるところがいかんかな。他人に趣味を押し付けるのはやめとこう。今更だけど。

 

「できれば、今からでも何か音楽を習いたいんだよ。楽器でも歌でも」と。

前向きに何かを習おうというのはいいことだと思う。

 

 

 

 

I君はもと高校教師。現在は中学で非常勤講師として英語を教えている。いまだに英検一級が取れないことが心残りで、勉強を続け、一級を取ろうとしている。奥さんは盲目だ。「以前は微かに明るさなどがわかって、白線を感知できていたのだけど、今はそれもできなくなったので、今は常に二人一緒です」と。彼は真面目で心優しい。

 

既に仕事辞めた人、まだ働いている人。別の職に就いた人、アルバイトしている人など、人それぞれだ。

「ダーは、定年後どうするの?」

と聞かれたけど、私もわからない。いい話が来たら乗るけど、そうでなければやりたくない。毎日出社は嫌だ。

 

先生には

「エリートコースを目指したわけでもなく、エリートでもなく、でも、常に自分の声を聞きながら、正直に生きてきました。その結果が今であり、それはそれで良かったと思っています」と伝えました。先生いわく

「人生に悔いは無さそうでいいね」と。

 

こういう同窓会をいつまで続けられるのか。

そもそも先生は来年も出席できるのか。

「先生、来年も是非、いらしてください!」

と誰かが言ったら、

「それはわからないよ」と。

 

 

 

 

群馬県から来た人、静岡県から来た人もいた。

群馬県から来た人S嬢は、お父さんが97才で一人で横浜に住んでいるらしい。だから今夜はそちらに介護を兼ねて泊る。

横浜在住のS君は大宮に92才のお母さんが一人で暮らしている。

A嬢は、92才のお母さんが先生の家の近くに住んでいるらしい。

 

一次会を終え、半分は帰り、残り7人は二軒目に。

T嬢お薦めの安くて美味しい中華屋「上海広場」。

 

 

 

 

人数が減って1テーブルになるとずっと話がやりやすくなる。なんだかバカ話で盛り上がった。私も含めて口が悪いのが多い。T嬢は話題の人だけど、詳細はここではやめておきます。今朝、朝一でT嬢から「ブログで変なこと書かないでね!」ってショートメールが入っていた。きっと私のこころない言葉で傷ついた人はたくさんいるのだろう。

(このブログを読んでいる人が3~4人もいる!)

 

話は違うけど

A子は夫の転勤に伴ってインドネシアにも米国ワシントン州にも住んでいた。

「ワシントン州は自然がいっぱいで良かった」というので、

「白人が多くて、雨が多いって話だよね」

「そう、雨が多いから鬱病の人が多いの」

「自殺する人も一番多いみたい。でも広い家に住んでいたんでしょう」

「そう、家も庭も広かった」

「知り合いがアリゾナに住んでいるけど、庭にガラガラヘビが出るので、庭に出るときは、ヘビの首を斬る棒を持って出るらしいよ」

「私は庭には出なかった。だって、ナメクジがたくさんいて気持ち悪くて。スカンクもいて、すごく臭かった」

アメリカにスカンクがいるなんて知らなかった。

 

さらにA子いわく

「高校の英語の先生が良くなかった。だから英語が嫌いになっちゃった。だって、文法ばっかり教えるんだもん」と。なるほど。結局、日本の英語教育は受験のためであって、実際には海外に行っても役に立たない。会話をもっと重視すべきなのだろう。

I君は今更英検1級を目指しているけど、それよりも海外に出て通用する英会話を教えられるようになったほうが世のためになるような気がする。

 

いろいろな人からいろいろな話を聞きましたが、ごっちゃにシャッフルされてしまって、どれが誰の話だかわからなくなってしまった。

 

ラインをやっていないどころか、スマホの操作もうまく出来ない人がマジョリティなので、今後も連絡は何かと不自由しそうです。

 

 

 

皆さん、それぞれの人生を生きているんですね。

皆に幸あれと思います。