私の最大顧客は旧東ドイツにあります。以前、その顧客の購買マネジャーのAさんとの食事の席でいろいろと旧東ドイツのことなどを聞いたことがあります。Aさんは理学博士で、インテリでナイーブで小柄な優しい人。若き日のエルトン・ジョンのようなルックスだった。

私「ベルリンの壁の崩壊で生活は変わりましたか」

A「変わりましたよ。1989年、私は20才で軍隊の訓練を受けていました。ところがある日、急に放送があって、今日で軍事訓練は終了、東西は統一された、解散と知らされました」

私「良かったですね」

A「確かに良かったです。我々はずっとアメリカに期待していました。アメリカが自由をもたらせてくれるだろうと」

私「そして、自由になった」

A「そうです。ところが自由になって困ったんです。」

私「どうして?」

A「だって、それまで我々東側の人間の人生は最初から決まっていたのです。職業選択の自由なんて概念はなかった。これからあなたたちは何をするにも自由だ、と急に言われても何をしたらいいのかわからなかった」

私「そうなんですか」

A「そうなんです。急遽与えられて自由は人によっては苦悩を与えたと思います。人はある程度、不自由なほうが安心して暮らせるのかもしれない」

 

 

 

 

米国の黒人奴隷の解放についても同じような感じかもしれない。南北戦争で北軍が勝利して、奴隷制度は廃止された。しかし、奴隷ではなくなったからと言って、それまで奴隷だった黒人たちが自活して生計を立てられるというものではない。さらには、社会参加には様々な差別は依然残っていたし。奴隷制度から解放されても、人間が生まれ持って持っている自由は、黒人に与えられていなかった。

 

米国の独立宣言(1776年)の「すべて の人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という「人間」に該当していたのは白人だけだった。

 

黒人が本当の平等を得たのはいつだろう。1960年代?

21世紀になっても白人警官に射殺された黒人少年、Black lives matterの事件はまだつい10年くらい前の話だ。

一方で2009年から2017年までは黒人のオバマ大統領の時代だった。

バラツキはある。黒人も自由になり、幸せを追求する権利を持っているけれど、そのバラツキは大きい。

 

 

 

 

インドのカースト制度。古くから根付いている身分制度だ。

インドの憲法ではカーストによる差別は禁止しているけど、カーストそのものは禁止していないらしい。仮にカースト制度がなくなっても、いまさらそんな自由をもらっても困る人たちもたくさんいるらしい。

 

 

 

 

考えてみたら、高校を卒業した後の私も突然「自由」を手にしたと言える。受験を失敗して浪人生活。そして学生生活。高校までの規則正しい生活ではなく、自堕落な日々になった。大学から強制されることはほとんどなく、試験さえ受かれば単位をもらえた。朝もゆっくり。麻雀、パチンコやりたい放題。タバコ、お酒、アルバイト。何でもできる。だけど、それは就職までの猶予期間(モラトリアム)だった。だから、このモラトリアムの間に自分の進むべき道を決めなければいけないのに、決めることができなかった。働かねば生きていけないので、とりあえず適当に就職して、それから手探りでその後の人生を模索した。

 

 

 

 

例えば、狭いワンルーム・マンションに住んでいる人が、いきなり40万坪くらいの土地をゲットしたらどうするか?

もしくは、ワンルーム暮らしの人が、憧れの広い家で、3000m2くらいの大邸宅に住むことになったらどうするか?

 

きっと困ると思う。

それは「自由」の話とは違うけれど、あまりに現在と違う状況になると対応が難しい。仮にそれがいい話であってもだ。

 

100億円をゲットしたらどうする?

嬉しい想像はいろいろとできるけど、実際は、人生が破綻しそうだ。

 

 

 

 

「自由」と言えば、老後も自由だ。

サラリーマン生活は月曜日から金曜日まで、朝から晩まで仕事で、自由がなかった。かすかに残る自由な時間で飲んだり、ゴルフしたり、旅行したり、遊んだりした。

しかし、定年後はそんなことはやりたい放題だ。時間なら死ぬまでずっとあるニコニコ

 

そういう意味では死ぬまでの限定的な自由だけど。

時間と金と健康と友人と・・・そういうものをどう活用して死ぬまでの生を全うするのか。簡単なことではない。

 

旧東ドイツの人のように、もと黒人奴隷のように。

戸惑いがあっても不思議じゃない。

 

さて、死ぬまであと何年あるのか。

10年か20年か。

 

 

今日も在宅勤務でした。