倉敷四日目、最終日は、朝から駅のコインロッカーにキャリーバッグを預け、美観地区へと向かいました。私が住んでいた中学生時代にはまだ山陽新幹線が開通していなくて、観光地と呼ぶほどの街ではなかったです。

 

倉敷の歴史は古くて、紀元前2万年くらいの遺跡も発掘されている。飛鳥時代、奈良時代、平安時代の歴史もいろいろとありますが、現在の「美観地区」は、秀吉に愛された宇喜多氏の時代、そして、江戸時代には天領となり、商人で栄えたようです。

 

 

 

 

ですから、城下町というのとは少し違って、年貢などを貯蔵する蔵が多く作られ、それらを仲介する商人たちがかなりの自由を与えられて栄えた。

 

 

 

 

江戸時代に建てられた蔵屋敷、古い建造物はいまだたくさん残されていますが、小中学生だった私にとって、特別な魅力のあるエリアではなかった。

 

歴史とか文化とかを知らなければ、こういう文化の厚みはわからない。何も感じることはない。

 

 

 

 

なんだか、キリコの絵の日本版のような風景ですけど・・・。

 

 

大原美術館前には多くの観光客で賑わってしました。

白人が多かった、かな。

 

 

 

 

大原家は倉敷の大地主で、大原幸四郎が1887年にクラボウを立ち上げ、息子の大原孫三郎は、画家・児島虎次郎と出会い、親友となり、孫三郎が虎次郎のパトロンとなる。虎次郎は孫三郎の支援で、世界を旅して絵を描き、そして、海外の絵を買い集め、それが大原美術館所蔵の作品群になっています。大原美術館の開館は、1930年です。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに大原美術館に入りました。これで4回目くらいです。ピカソ、マチス、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌといった印象派の作品が多いですが、古いところでは、エル・グレコの作品もあります。

 

私ごときが絵画史について語るのはお笑いかもしれませんが、ざっくり言えば、西洋絵画史は、キリスト教関連の聖書の一場面を描いたものが多かった。それがフェルメールあたりからは、少し、聖書を離れて、外からの光を受けて室内の絵画へと移り、これが恐らく絵具の進化により、屋外へ出て描くこともできるようになった。そして、光や風、音楽などを体感的に感じた印象派が登場した。さらには、そこには表現方法をさらに進化させたキュビズムなどの抽象派も出てきた、といった感じでしょうか。

 

途中、印象派の時代に、ジャポニズムといって、日本の浮世絵の影響を受けた作品も出てきたのは興味深い。

 

 

 

ある芸大出の知人が言うには、「もう、絵画については進化をすべて遂げてしまった」とのこと。

 

 

 

 

倉敷が第二次大戦で爆撃されなかったのは、古い蔵屋敷とこの大原美術館の存在があったと思います。リットン調査団がここは爆撃しないようにと連合軍側に伝えていたようです。

 

1時間あまり大原美術館で鑑賞して、外に出ました。素晴らしい天気でした。別館は閉鎖中でしたが、裏側の庭園も美しく、去りがたく感じました。

 

 

 

 

無料休憩所のような形で古い建物が解放されており、そこで少し休憩しました。ここから庭園が見えます。備前焼の即売をやっており、小さな一輪挿し用の焼き物を1つ買いました。

 

 

 

 

次に向かったのは鶴形山。

 

 

 

ここは、地元中学生のデートコースでもありました。

 

 

私も一度だけ、中学三年生のときに、ここでデートしたことがあります。

 

 

 

鶴形山には阿知神社があって、小高く、倉敷の街が一望できます。

 

 

 

かつての中学生が、まもなく前期高齢者になろうとしているわけですから。

まさに少年老い易く・・・です。

 

 

 

 

春になれば桜の花が咲き、あっという間に散ってしまい、葉桜になる。そして翌春、また花が咲き、散っていく。植物も春に芽を出し、夏に育ち、秋に実を作り、冬に枯れる。それを繰り返す。

 

 

 

 

人間も同様ですね。

地球上の生物はみな同じ。

生死を繰り返していく。

 

 

 

 

あたかも夏の初めのような強烈な日差しは、なんだか思春期、青春期のような感じがして、人生の秋にいる自分にはとても眩しかった。

 

 

 

 

あの建物の中では、新郎新婦が儀式をまって、座っていました。

異性は地上に40億人もいる。同世代に限っても10億人くらいいるのでしょう。

その中から一人だけ選んで結婚するというのは、奇跡に近い確率です。

出会いは限定的ですからね。

 

 

 

 

たまたま小学校の同窓会の話があって、倉敷へと行きましたが、いい旅になりました。

自分のルーツを巡る旅です。

 

 

 

 

いっぱい歩きましたよ。

いっぱい食べて、飲んで、歩いた。

 

 

 

商店街まで降りて、駅へと向かい、早めのお昼はここでラーメンを食べました。

 

 

 

黒マーラーメン。

可もなく、不可もなく。

 

 

 

倉敷から岡山へ、そして、のぞみで東京へ向かいました。

 

これにて倉敷の旅は終わりです。

長々と読んでくださった方々には感謝申し上げます。

 

また、倉敷に行くことがあるのか。

行くとしたら定年後ですね。

 

会う友達がいるということは幸せです。

何かの思い出を共有している人がいるというのは幸せです。

写真にいろいろと撮ることはできますが、結局、思い出は、心の中にしかありません。

将来、アンドロイド製作者は、アンドロイドの思い出について、どういう風にプログラムするのか。

 

 

今日も快晴。

 

皆さまも2024年のGWをお楽しみください。