図書館で借りたポール・オースターの『ブルックリン・フォリーズ』(2005年、2012年日本語訳)を読了しました。ピンと来ないタイトルですが、原題はThe Brooklyn Folliesで、ブルックリンは、米国ニューヨーク州のニューヨーク市南部の地区。米国が独立する前からある古い街で、倉庫街だったのを、センスのある人たちが洒落た街にした。

 

 

 

 

そして、Folliesというのは、folly(愚行)の複数形。もう少し日本人にもピンと来そうなタイトルとして訳すならば、『ブルックリン狂騒曲』としたほうが本書の内容にあっているような気もします。

 

例によって、「自分の人生はもう終わってしまった」と思っている中高年が主人公ですが、前向きな作品です。登場人物が多いので、少しややこしいですけど。

 

中高年男性の「私」ネイサン・グラス(もと保険屋、ユダヤ人)は、癌の治療を終え、「自分の死に場所を求めて」子供のときに住んでたブルックリンにやってきた。妻とも娘(生化学博士)とも別居し、絶縁状態だ。過去の生活を振り返ると反省することはいっぱいあるけれど、そもそも自分は結婚には向ていない人間なのだど思っている。

 

そして、ブルックリンの小さな本屋に入ったら、甥のトムがいた。有名大学を優秀な成績で卒業した精悍な青年だったのだが、ネイサンが見つけたトムはデブっと太ったオカマになっていた。その店の店主ハリーもゲイだった。トムは変わらずインテリだったのだけど、純粋過ぎて生きるのが下手くそな感じだった。近所の子持ちの人妻ナンシーに憧れ、崇拝していた。

 

やがて、ハリーは、「もと彼」から儲け話を持ち掛けられ、騙され、ショック死する。

ネイサンは、ナンシーのお母さんジョイスと懇ろになる。

 

「老いかけた人間同志のセックスは、気まずい面やだれた面があったりするわけだが、そこにはまた、若い人間がしばしば気づかない優しさのようなものもある。胸はたるみ、ペニスは垂れても、肌はまだ自分の肌であって、自分が大切に思う誰かが手をのばして触れてくれたり、両腕に抱いてくれたり口にキスしてくれたりすれば、永遠に生きられると思ったときと同じようにいまも体はとろけるのだ。」

 

ある日、トムの妹の娘ルーシー9歳が突如、トムのところへやってくる。どうしの?お母さんはどうした?どこに泊るのか?などいろいろと聞いても笑顔だけど、一言も口を利かない。困ったトムは伯父であるネイサンに相談し、しばらくは二人で養うことにする。それにしても、ルーシーの母親のレイチェルはどうした?

 

どうしようもないので、トムとネイサンは、レイチェルのところを突然訪ねる。家から出てきたのは聖人君子のような男性。彼がレイチェルの夫だがルーシーの父親ではない。新興宗教に嵌ってしまい、それが嫌なレイチェルを数か月部屋に閉じ込めていた。ルーシーはそこを抜け出て来たのだ。ネイサンはレイチェルも救い出し、ブルックリンに連れてくる。

 

レイチェルとルーシーは、ナンシーと暮らすことになった。(ナンシーは離婚していた)。やがて、レイチェルとナンシーはレズビアンの関係になってしまう。

 

とまあ、一体何が言いたいのかわからないでしょうけど、そんなふうにブルックリンを舞台に様々な男女が愛し合ったり、別れたり、喧嘩をしたり、死んでしまったり。

 

トムとある女性のことは、書きそびれましたが、そっちもいろいろとありました。

また、ネイサンは絶縁状態だった娘ともよりを戻すことができました。

 

ちょっとお洒落な吉本新喜劇のようです。

 

人生いろいろ。

人生はもう終わりかと思っても、まだまだいろいろとありますよ。

楽しく行きましょうって感じです。