図書館で借りたポール・オースター(1947-)の『幻影の書』(2008年)を読了しました。正直言って途中までは読了できるかどうか自信がなかったけど、100ページくらいから急激に面白くなってきて、残り200ページ以上はあっという間に読了しました。

 

主人公の「私」ははバージニア州のカレッジ教師。愛する妻子が乗った飛行機が墜落し、二人とも死亡。そのショックから抜け出せず、抜け殻のような日々を送っている。彼は映画が好きで、昔の無声映画時代に一世を風靡したヘクターという俳優の映画について一冊本を書いた。ハンサムなコメディ俳優だった。ヘクターはなぜか29歳で急に映画界から姿を消し、その後、半世紀以上、消息は絶っていた。彼はアルゼンチンからの移民だ。まだ生きているのか、死んだのかもわからない。やがて、「私」の元には遺産とか保険金とかが入ってきて、金銭的にはゆとりのある、しかし、精神的にはささくれた日々が続いていた。自暴自棄になり、何度か自殺未遂もしていた。

 

そんな私のところに「ヘクターがあなたに会いたがっている」という手紙が届く。最初は悪い冗談と思って無視していたのだけど、ある女性が私の所にやってきて「来てくれなければ、貴方を殺す」と銃口を向ける。彼女は顔の半分に大きな痣のある女性だった。いつ死んでもいいと思っていた私だったし、どうせい、銃弾は入っていないだろうと思っていたけれど、銃弾は装丁されていた。数日の激論の末、二人は結び付き、私は彼女に従って、ヘクターのいるニュー・メキシコに会いに行く。

 

私はその道中、彼女からヘクターの「その後の50年」について話を聞くことになる。うっかりしたことで、ヘクターの新しい愛人がヘクターの古い愛人を射殺してしまう。ヘクターは古い愛人の死体を埋めるのを手伝う。そして、それから逃亡生活が始まった。様々な逃亡生活の中、ヘクターは古い愛人の実家(本屋)に行き、正体を隠して働かせてもらう。行方不明になった娘の身を案じて苦しむ父親の姿をまじかに見て、ヘクターも苦しむ。やがて、古い愛人の無垢な妹がヘクターを好きになるが、ヘクターは償いのために来ているので、妹には指一本ださない。

 

ヘクターはその古本屋から姿を消して・・・と長い話はまだまだ続く。そして、「私」は死の床にあるヘクターと出会う。そして、ヘクターの妻とも。ヘクターとその妻との出会いは、ある町の銀行にいるときに、銀行強盗が入ってきて、妻となる前のその女性に銃を突き付け人質にして、皆にホールドアップさせた。無我夢中でヘクターは強盗と取っ組み合いになり撃たれた。強盗も撃たれ逮捕されたが彼女は助かった。命の恩人である彼に惚れこみ、彼もまた自分の過去を洗いざらい話し、二人は結ばれた。

 

私をヘクターのもとに連れて行った女性は何者なのか。ヘクターは未公開の映画をたくさん撮っていた。それを私に観て欲しかった。それはどんな映画だったのか。やがてヘクターは息を引き取り、80歳になる妻は何をしたのか。ヘクター邸に着いてからも、話は劇的に進んでいく。

 

物語の中に別の物語があり、さらには物語の中に映画の物語があって、話は鏡の中の鏡のように複雑に奥深くなっていく。そして、いずれの物語も、絶望からの再生の物語なのです。再生まではいかなくても、鎮魂と言えるかもしれない。一度は失った人生、そのうえで生きている人たち。そして、非常に強い愛の物語でもある。

 

 

著者のポール・オースターを全然知らなかったのですが、あるブロ友さんがしきりに書いていたので、読まなくてはと思って読みました。現代米国文学の人気作家のようです。他の本も読んでみたい。

 

訳者の柴田元幸氏は村上春樹とも親しい。海外文学を読んでいると、「あれ?これって、村上春樹がパクったかな?」なんて思うことがあります。もしくは、春樹の小説を読んでいると、「あれ?これってあの(海外)小説のパクリかな」なんて思うことも。正しくは、「パクリ」ではなく、「オマージュ」と言うのでしょうけど。

 

「雨が降ろうが槍が降ろうが毎日連絡しあおう、と私たちは約束した」『幻影の書』(2008)

 

「青豆をみつけよう、と天吾はあらためて心を定めた。何があろうと、そこがどのような世界であろうと、彼女がたとえ誰であろうと」『1Q84』(2009)

 

 

私には読書というお金のかからない趣味があってよかった。

図書館で借りれば無料ですからね。