GWですが早起きです。

早起きした朝はNHKのEチャンをつけると、いい番組に遭遇することがあります。

今朝もそうだった。

 

「ウクライナ語で叫びたい」という番組をやっていた。

 

プーチンが2014年のクリミアや今回のウクライナ侵攻に際して言ったことは

「ロシア語を話すウクライナ人が差別されている。我々は彼らを守らなければならない」。

しかし、日本在住のウクライナ人女性カテリーナは言う。

「私はロシア語を話すウクライナ人です。だけど、今までウクライナで一度も差別されたことはありません」と。彼女はNHKで働くディレクターだ。

 

ウクライナの公用語はウクライナ語だけど、多くの人たちがロシア語も話す。言葉は60%くらいが似ている。

カテリーナの家族は皆ロシア語を話していた。しかし、2014年のクリミア併合の後、彼女のお父さんはロシア語を話すのをやめた。敵の言葉だとして。今はウクライナ語しか話さない。

 

カテリーナは自分もロシア語を捨てるべきか悩む。自分の子供の時の思い出はすべてロシア語だ。それを捨てるのか。ウクライナを愛するためにはロシア語を捨てるべきなのか。

 

 

 

1922年から1991年までウクライナはソ連の一部だった。そして、ロシア語を学ぶと就職に有利だった。だから、皆がロシア語を学び、話すようになった。

 

自分にとっての愛国心とは何か。

彼女は日本でのウクライナ人の集まりに参加した。皆、ロシア語を捨てていた。あるウクライナ人は言う。「新たな人生を生きている」と。

 

カテリーナの携帯にはウクライナにいる両親、妹からメールや映像が届く。ロシア軍が砲撃している。彼女は怒り、恐れ、そして、混乱した。

 

言葉なんてどうでもいい。

私はロシア語で話すウクライナ人だ。

誰に守られているの?

誰が攻めているの?

 

妹が言う。

「戦争が終わったら、恋をして、結婚して、子供を2,3人産んで、離婚して、再婚して、とにかく一生懸命生きるの」

 

カテリーナはロシア語が嫌いになった。

今、私の言葉はウクライナ語だ。

 

 

考えることは多い。

みんな自分の幸福を求めて生きている。しかし、誰かの行為が誰かを不幸にする。個人レベルだけでなく、国家レベルでも。自国だけ幸せになればいいのか。不幸を回避するための防衛は必要か。祈るだけでは意味はないのか。憲法も改正すべきなのか。いざとなったら戦争ができるように準備すべきなのか。核兵器は抑止力として必要なのか。