昨日は初夏のような素晴らしい天気となりました。

午後は長距離散歩。

 

歩いたり、走ったりしている人たちを散見します。

ずっと家にいたらコロナ太りゲッソリしてしまいますから。

特に老人は、ずっと家に籠っていたら病気になってしまうのでは。

 

 

小さな川ですけれど、橋の上から見たら、なんとカメが8匹くらい泳いでいました。

もちろん、平泳ぎですけど照れ

 

 

これまでの日常は、平日は家から会社へと通勤して帰って来る

というものでしたが、今は「通勤」がないので、在宅勤務、

晴れていれば、ときどき散歩となりました。

 

 

 

初めて歩く道は遠く感じますが、何度も歩いていると慣れてきて

距離を感じなくなります。

 

人生の時間感覚も似たようなものがあるようです。

若い時は初めての経験が多いので、時間が長い。

歳を重ねて経験を積んでくると、慣れて、

時間が短く感じられてきます。

 

 

1年前の出来事など、つい昨日のことのようです。

 

そういえば、経理部からうちの事業部に異動してきた青年に

「ねえ、もと経理部に聞きたいんだけど・・・」と経理上のことを質問したら

彼曰く

「もと経理部って言っても、もう、5年も前の話で、しかも経理には半年しかいませんでした。

ここにきて、もう5年もたっているんですけど」と。

 

なるほど。彼が来てから、もう5年か。

彼=S君は北海道出身の27歳か28歳。3月にめでたく挙式する予定だったけれど、コロナで流れてしまった。

 

 

 

最近、思うんですけれど、人と人が理解し合うって難しいというよりも、ほぼ不可能ではないかと。

相手の事を知れば知るほど、違いが見えてくる。

 

 

 

最初は、ちょっとしたことで琴線に触れて、友達になったり、恋に落ちたりするんだけど。

ますます仲良くなるのはその後、3年、5年程度であって、20年、30年も気が合うなんてことは滅多にない。

 

それどころか、ほとんどの人と人の付き合いは損得勘定か、仕事上の付き合いだ。

用事があるから連絡するし、会ったりする。用もなければ、会うこともない。

もしくは、家族か親族。好きで一緒にいるというわけでもない。

 

 

 

例えば、すごく綺麗な夕日が見えたとする。

ある人は、「うわ、なんて綺麗な夕日なんだ!」と感嘆する。

ある人は、「こんな夕日は見慣れているから、なんとも思わない」と言う。

ある人は、「夕日なんか見てる時間があったら、もっと勉強せんかい!」と。

ある人は、「夕日なんか見ていても腹は膨らまない」という。

 

ある人は、「ああ、なぜ僕らは夕日を見て綺麗だと思うんだろう。きっと、原始時代の僕らの祖先も同じように綺麗な夕日を見て感動したんだろうなぁ。その感動の遺伝子が何百世代も、遺伝子を通じて自分に伝わってきたのでは」と考える。

 

ある人は、「夕日が赤いのは、太陽光における可視光線で赤がもっとも波長が長く、地球上の自分の位置が太陽光から斜めになる時間帯には、その長い波長の赤だけが屈折率の関係で目に見えて来るんだよね」などと言う。

 

 

 

行列のできる弁当屋さん。安い!

250円の弁当なんてあるんですね。

 

 

 

 

全ての人は、違う両親から生まれ、違う環境で育つ。

同じ両親から生まれ、同じ環境で育った兄弟姉妹ですら

全然違う人格を持った人間になっていく。

もちろん、外観は少し似ているし、何かしら共通の嗜好もあるかもしれない。

 

 

 

 

ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』に登場する3人の兄弟は全く違う。

長男(母親が違う)は、情熱の人。感情的。

次男は、理性の人。冷静。

三男は、誠実で信仰の人だった。

そして、父親フョードルが酔っ払って少し足りない路上の女性に産ませたスメルジャコフは、邪悪な人だった。そもそもフョードル自体が、金と女を一番愛する人間だった。

ちなみに、ドストエフスキーのファースト・ネームはフョードル。

彼のお父さんは農奴に殺害されている。

 

 

 

 

兄弟ですら全然違うのに、赤の他人が似ているはずがない。

そもそも、人は遺伝子的に遠いと感じられる異性に憧れる傾向があるらしい。

違うタイプと交わることで、今後の環境変化にも順応できるような強い種が生まれやすいのかもしれない。純血種は弱いのか。

 

 

 

人間以外の動物は、同じ種である場合、それほどの個性を感じません。

「そんなことはない!うちの猫はとても個性的」

「うちの犬はすごい、他の犬とは違う」

と言う人がいるかもしれません。

そもかもしれない。

だけど、それは、猫にしては賢いとか、犬なのに人の心がよくわかるといってレベルだと思います。

猫や犬が思想を語ることはない。

せいぜい、嗜好を示す程度だ。

だから、人と動物では議論することもない。

気が合うとか合わないとかいう話もない。

 

 

 

 

人は生まれ育った環境によってかなり違った性格、人格が形成される。

そして、その後の経験、教育、仕事によっても違いが出て来る。

同じ立場の人はいない。

だから、どういう立場で語っているかによって、意見も変わってくる。

 

一個人として語っているのか、

父親として語っているのか、

夫として語っているのか、

新入社員として語っているのか

社長として語っているのか、

首相として語っているのか

一人の男として語っているのか。

医者として語っているのか。

 

女性についても同じようなことが言える。

だけど、男と女では、それだけでいろいろと立場が違う。

男で、自分は将来専業主夫になりたいと子供の時から思う人は少ないと思う。

女で、私は将来、家族を一人で養っていきたいと思う人も少ないことでしょう。

 

 

 

 

同床異夢という言葉がある。

以前、来日したある米国人は、日本語は話せないのだけど、空手をやっている関係で、日本文化、漢字にとても興味を持っていて、いくつかの四文字熟語を興味深く覚えて帰りました。

彼が一番感銘を受けたのは「同床異夢」と「弱肉強食」でした。

 

 

 

夫婦の場合、結婚30年、結婚40年、結婚50年と長かれば長いほど、

同床異夢の時間も長いと思います。

Same Bed Different Dreams

夢は無意識。理屈ではないし、道徳も治外法権だ。

常識も効かない。

 

 

 

さて、先日も来た公園に到着です。

歩いて1時間。

桜の花はすべて散ってしまったようです。

残念ながら、アヤメにはまだ早い。

 

新緑の公園を散歩します。

 

<続く>