子どもに学力をつけさせたいなら、させたくないもの3つ。テレビとゲームとスマホ。このうち、テレビとゲームはすでに書いた。

スマホはやや年齢が上がってからだし、難しいことが多い。なにしろ、子どもたちはスマホネイティブなのに、親は大人になってからスマホだろう。圧倒的に子どもが有利だ。

スマホの技術も非常に速いペースで変わっていく。多くの親はネイティブに勝ち目がない。

『スマホが学力を破壊する』という本がよく売れたが、スマホを使えば使うほど試験の成績が下がるという研究結果を披露していて、衝撃だった。ただ、教育にたずさわる方なら、このエビデンスを知らなくても、肌感覚でそう理解しているのではないだろうか。この本では、脳にモニタをつけて調べたところ、ITを使った作業では前頭前野が抑制され、リアルの作業では活性化されるという検証結果も紹介されている。調べることでも、書くことでも、コミュニケーションでも、ITを使えば頭が働かず、身体を使えば頭が働く、というのだ。

『スマホ脳』という本もベストセラーになったので、読んだ人は多いだろう。スマホが脳に悪影響を及ぼすことを世界的な専門家が説いている。

スマホが子どもに害をもたらすことを説いた本は、2018年ごろから目立って増えてきた。大多数の子どもたちにスマホが普及して3年ほど経過し実態が明らかになってきたという時期だろう。

スマホは、テレビやゲームと比べてもかなり危険なアイテムだと思う。その一方で、テレビやゲームはなしでもやっていけるが,いまの時代、スマホなしではやっていけないだろう。要はスマホとのつき合い方、という話になるのだろうが、それが難しい。非ネイティブがネイティブをコントロールしようというのだから、どうしようもない。

わが家では、パソコンを自作し続けてきた副産物として、余ったパーツで子ども用のパソコンをつくり、4人の子がそれぞれ3歳ぐらいから専用パソコンを与えてきた。子どもたちは、パソコンネイティブだ。とくに教えなくてもたいがいのことはできるだろう。

そして、幼い頃から大量の昔話を聞き、自分でも大量に読んできて、すると読書が自然とレベルアップし続けるようになり、幅広く世界を知るようになる。5~6歳からは毎日書き写しをしてきたので、知性が鍛えられてきた。

すると、パソコンに使われるのではなく、意図をもってパソコンを使うようになる。そうなると、必要なことは調べたり考えたりする。漫然と流されるような使い方にはならない。

わが家では、まずパソコンを十分使ってから携帯電話、スマホの順だった。

山の上に住んでいるので、携帯電波は届きにくい。2009年ごろまでは、童仙房内はほぼ3キャリアとも不感だった。だんだん整備され、今はおおむね3キャリアともなんとか通じるエリアが増えた。それでも、わが家の宅内ではほぼ電波が通じない。携帯やスマホを持っていても、自宅では通話できないのだ。wifi環境はとうぜん作っているので、データ通信ならできる。

ところが、パソコンネイティブがスマホを使うと、スマホでできることはぜんぶパソコンでより良くできることばかりであることに気づく。積極的にスマホを使う理由がない。子どもたちはパソコンネイティブなので、スマホへのあこがれは生じないようだ。

前回書いたように、2014年からは、家族でのお出かけが非常に多くなった。家族それぞれが携帯かスマホをもっていないと、動きがとれない。買い物に行っても、6人がそれぞれ行動すると、携帯かスマホがないとどうにもならない。そういうわけで、小学生低学年ごろから、携帯をもたせている。中学生あたりになると、スマホを与えた。

ITが学力を低下させるということは、子どもたちが肌で感じているようだ。親はとくに管理していないが、あまり積極的にスマホを使いたがらない。必要な時以外は電源を入れていないようだ。

ITが学力を低下させるなどと普通は子どもたちに言い聞かせたところで、反発するだけだろう。うちの子たちは、読書と書き写しを徹底してきた。だから、身体での学びがどういうものか、深く知っている。スマホが学力を破壊すると外部から言われるのではなく、自らの内からそのように知っている、ということだ。

私は、パソコンなら一般人より少し使えるだろうが、スマホネイティブ世代にスマホでは勝てそうにない。だから、勝負を挑まない。子どもたちをコントロールしようとしたって、まあ負ける。出し抜かれて笑われるのがオチだ。

大量の読書と大量の書き写しで知性の身体化が進めば、テレビもゲームもスマホも、子どもたちを害することはできない。誰かに守ってもらわなくても、どうすればいいかを自ら学んでいく。わかっているなら、わざわざ自分を劣化させる道は選ばないだろう。

あれこれ個別の対策を考えなくてもいい。こんな複雑な世の中で、ちゃんとした対策など、どうせできっこない。根本を育てればあとはなんとかなる。根本とは、大量の読書(昔話が基本中の基本)と大量の書き写し。これにつきる。とても簡単で、だれでもできることなんだが。みんな、難しいことをやろうとしすぎる。本当に大切なものは目に見えないんだよ、と星の王子さまが言うのは、こういうことだよね、きっと。
 

 

わが家の経済危機が落ち着いて、なんとか暮らしていけるようになった2014年から、積極的にお出かけを始めた。

1999年、結婚した年には、夫婦で仲良くあちこちおでかけしたが、2000年に第一子を妊娠してからは、ほとんどおでかけしなかった。近場ならあちこち行ったけど。

なにしろ、4人の子が2年半間隔でつぎつぎと生まれてきたものだから、妊娠→出産→育児→妊娠・・・と、間断なきループをまわっていた。子どもファーストなので、おでかけは困難だった。

とはいえ、その間、京大、生協、積水化学工業など、他にもじつに多くの団体が童仙房へ来たので、出かけなくとも地元で盛りだくさんな活動をできたのだった。

わが家はホームスクーリングなので、遠足も社会見学も修学旅行もない。学校へ行っている子が普通に体験することが欠落してしまう。わが家の危機が去ったとき、第四子が小学生となった。もう幼児ではない。

奈良、京都、大阪といった比較的近い場所(自動車で1~2時間くらい)の有名ポイントをくまなく回った。京都市内の主な寺社はほとんど行ったと思う。動物園もあちこち行った。姫路のサファリパークも行った。海遊館も行った。科学館(名古屋と大阪)も行った。城もあちこち行った。博物館もかたっぱしから行った。工場見学も行った。古墳巡りは趣味であるかのようだ。

遊園地も行ったが、子どもたちは鈴鹿サーキットのモートピア一択だった。他の遊園地も連れて行ったが、興味を示さなかった。モートピアは、自分で乗り物等を操作(運転)できる。じっと座っているだけの乗り物は面白くないと言う。モートピアはたくさん行った。USJも行った。楽しかったと言うが、1回行っただけでもういいとのこと。

Jリーグやサーカスにも連れて行ったが、野球場へ行ったとき、スイッチが入ってしまった。最盛期には1年で10回ほど野球観戦に行った。最初は、甲子園へセンバツを見に行った。日本の風物詩を経験したらいいだろうぐらいに思っていたし、1日に3試合あるうち、1試合だけ見れば帰ろうと思っていたら、3試合とも見たいということになって、たいへんな1日となった。高校野球もプロ野球もおもしろいそうだ。

ちなみにプロ野球は京セラドーム大阪ばかり。オリックスの試合は、ゆったり観戦できていい。(^_^;  ちなみに第四子は8年間もオリックスバファローズのファンクラブに入り続けている。第三子はコロナまでの4年間。

甲子園での高校野球観戦はあまりに過酷なので、2018年春を最後に、行っていない。第二子は大学生になったら友達と行くと言っている。

女子プロ野球も観戦に行っていた(今はもうない)。試合終了後、グラウンドにおりてキャッチボールをしたり、選手たちとティーバッティングをしたり。選手との距離が近いのがよかった。

2016年に奈良県明日香村へ行ったとき、これまた別のスイッチが入ってしまった。明日香村は、古代の寺院跡やら比較的小型の古墳やら、よくわからない石やら、地味なポイントばかりだ。なのに、なぜか惹かれるらしい。

里中満智子さんの『天井の虹』を読んだら、ますます飛鳥にのめり込んでしまった。どんどん飛鳥オタクになっていった。歴史も古代に異常に詳しい。

さらに大元出版の書籍により、飛鳥が拡張した。大和朝廷の前身である古代出雲王国の王家の直系子孫が直伝してきた歴史を書籍に記すため立ち上げた出版社だ。古代史はトンデモ系も多いが、出雲伝承はおもしろい。学術的にわかっていること、発掘された遺跡や遺物、古い神社の由緒などがきれいにつながる。邪馬台国についても正体を明示している。なるほどとうなるばかりだ。古事記や日本書紀についても、なぜ、どのように書かれたか、明示している。いつか、学術が出雲伝承を証明する日が来るだろうか。歴史の話は深入りせず、このへんでやめとこ。

出雲伝承により、行きたいところが広がった。

出雲に2回、家族旅行をした。出雲伝承の重要ポイントは、観光客がほとんどいかないようなところばかりだ。連休なのにどこへ行っても人がまばらだった。出雲伝承をふまえて見学すると、非常によくわかる。

出雲伝承は、出雲だけでなく、飛鳥、滋賀、京都南部、丹後、大阪南部、大阪北部など、あちこちへ広がる。熊野、九州、愛知、岡山も行ってみたい。

子どもたちは、歴史が大好きになった。第二子が高校の日本史を勉強したときに言ったが、教科書に出てくる古代の遺跡や古墳は全部行ったところばかりだ、と。そんなことはないと思うけど、そう思えるほど精力的にでかけた、というのは間違いない。

家族旅行といえば、広島にも行った。出雲関係と、原爆関係だ。原爆資料館では、子どもが気分が悪くなった。これは大事なことだ。戦争をゲーム感覚で語る人が増えてきたが、現実は軽々しく扱えるものではない。資料館の外で平和記念公園を歩いていたら、ボランティアガイドさんが近づいてきて、ガイドをしてくださった。一般ではわからないことを教えてくれたり、入れないところへ入れてくださったり。とてもありがたかった。

気分が悪くなったといえば、もうひとつ。神戸の「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」だ。阪神大震災が起きたときの映像と音をリアルに再現し、揺れも再現する。恐怖のあまり、第三子が耐えられなくなった。これも大事だ。リアルの(本当はバーチャルだが)恐怖を体験する。

お出かけは、自分の身体で学ぶことになる。読書は非常に大切だ。あわせて、身体の学びも大切だと思う。ただ楽しかった、で終わるのではなく、血になり肉になることを願う。

博物館、歴史館、資料館といった施設は片っ端から訪れた。どこも非常に人が少ない。立派な建物で、貴重な資料を守り展示している。わが国の宝に違いない。でも、人気がない。不人気と言われるオリックスバファローズの最下位が確定した後の消化試合の方がはるかに観客が多い。なんともったいない。そのぶん、わが家はゆったり見学できるからいいのだが。

最近、とくに第四子が博物館の見学に長時間かけるようになった。良いことだ。親はせかさず、じっと待つ。

おでかけは、親が行きたいところに行くのではなく、子どもたちが望むところへ行った。親は提案はするが、主導ではない。わが家のホームスクーリングは、あくまでも子どもたちが主役だ。親はサポート役。非常にたくさんおでかけしてきたことが、子どもたちにとってどうなっていくだろう。大人になったら、いつかふりかえって聞いてみたい。
 

 

 

第四子が小学生になるころには、家計の火の車がおちつき、なんとかふつうに暮らしていけるようになっていた。第四子も上の子たちと同様、ホームスクーリングだ。

第一子は中学生となり、マジメに勉強するようになっていた。第二子はまだ小学生でスランプ前、勉強大好きと言っていたころだ。第三子は常に勉強大好きだ。その中で小学生になったものだから、第四子も勉強をはりきる。書き写しも毎日ちゃんとやっていた。

小1になったばかりのころ、進研ゼミの教材をやろうとして、泣き出した。わけを聞いてみると、問題がわからないとのこと。字を読んで意味を理解できないのだ。「無理しなくても、わかるようになってからやったらいいよ」って私は言うのだが、第四子は泣きやまない。「いま、やりたい」って言う。

なんども書いているけど、早期教育には賛成ではない。それぞれの子の成長のペースがある。わからないことでも、時が来れば自然とわかるようになる。できないことでも自然とできるようになる。成長のペースに合わせて進めていくのが最も早く、最も効果的だと考えている。

第四子も急ぐことはない。でも、上の3人が楽しそうに勉強するもんだから、自分もそうしたい、という気持ちがあるようだ。悪いことではない。

第一子から第三子までは、小1で進研ゼミの教材も『自由自在』も読んで理解していたし、いきなり独学が可能だった。何も無理せず、自然と独学をやっていけた。誰からも教えられなくても、自分で勉強できた。親もそれを当たり前のことのように見ていた。

では、どうして第四子はそれができないのだろう?

夫婦で原因を考えた。

まもなく、気づいた。

第四子が生まれてから5年間、家計の危機だった。読み聞かせどころではなかった。第三子はハイクオリティの読み聞かせだったので、自分で読めるようになったのも早い。第四子が生まれて読み聞かせが思うようにできなくなる頃には、自分で本を読めるようになっていた。

第四子は読み聞かせが圧倒的に足りなかった。ゼロではない。いくらかは読み聞かせしたが、第三子までと比べると、十分の一もなかった。第三子は自分で読めたので、読み聞かせ不足がかえって自分で読むことを促したのかもしれない。

これはたいへんだ。親の重大な責任だ。なんてことだ! この子の人生は上の3人とまったく別ものになってしまう。上の3人ができることをできず、到達できるところにはるか及ばないかも。

遅いかも知れない。

でも、あきらめて親の責任を放棄するのは違う。とにかく、やろう。

夫婦でかわるがわる、読み聞かせを始めた。第四子への読み聞かせは小1になってから本格的に始めたのだ。もちろん、もちろん、昔話に特化した。昔話だけを読み続けた。絵本もいくらか読んだが、中心は字が主体の本だ。たくさん買ったし、図書館でもたくさん借りた。

毎日毎日、時間をとれる最大限、読み聞かせた。勉強はしなくてもいい。読んで読んで読みまくった。

半年ほどたつと、変化が現れた。進研ゼミの教材をいつのまにやら、難なくこなしている。あの分厚い『自由自在』1・2年生版(算数しかない)も、独学でやっている。意味を理解できるようになってきたのだ。

1年ほどたつと、自分で本を読み出した。読み聞かせしている昔話を自分でも読むようになった。小2になったあたりだ。

小2になると、図書館でみかけた『ルルロロ』や『まじょ子』シリーズを読みたがった。ヤフオクでまとめて大量に買った。あっという間に読んでしまった。小3あたりで、読み聞かせは卒業にした。

読み聞かせ大量2年間で、激変した。小3からは、『自由自在』が3・4年生版となり、4教科そろい、内容も難しく、ボリュームも大きくなったが、何の苦もなく日々こなしている。書き写しも毎日順調にやっている。そろそろ1000枚ほど書いたのではないだろうか。小学生(4年生)で1000枚も書く子はめったにいないだろう。

勉強がわからないということはなくなった。上の3人も、独学をしていてわからないということはなかったらしい。あったとしても、自力で解決できたらしい。第四子もそうなってきた。

小5になると、読む本が変わってきた。分厚い本を次々と読み出した。アガサ・クリスティを大人向けの文庫で大量に読んだ。他にも、小学生が読めないだろうと思われる本を次々と読んだ。小6では『ハリー・ポッター』全巻セット、分厚い本が10冊ぐらいある。あれが大好きで覚えるほどくりかえして読んだ。他にも物語を中心に、驚くほど読んだ。第三子の読書量は驚異的だが、第四子も第三子に迫りつつある。いつのまに・・・

中1になると、『ハリー・ポッター』のような易しい物語はたよりないと言い出して、純文学を読むようになった。夏目漱石、太宰治あたりは、旧字・旧仮名の方が好きだと、わざわざ読みにくい古い本を読んだ。ディケンズ(『クリスマスキャロル』だけではない)、シェイクスピアなんかも。『千夜一夜物語』は全巻読み通したようだ。

読書が質量ともにレベルアップしてくると、学力が比例して向上する。

中学生では、とても分厚い『総合的研究』を中心にやったが、中3の春先で全部終わってしまった。問題集もやっている。『総合的研究』は各科目とも、高校の内容に踏み込んでいる。そういうものも難なくこなし、適宜復習するので、学習内容は身についているようだ。

中3で英検準2級に合格した。

中2から模試を受けている。京大現役合格の私の中学生のときの成績とほぼ同等だ。中3の春先から、公立高校の入試問題を順にやっていった。安定して高得点がとれている。もう、中学の勉強はやることがなくなったので、7月下旬から、高校の勉強に移行した。『総合的研究』をとことんやったので、高校の勉強はスムーズに取り組める。

書き写しは、ずっと継続している。物語を自分でも書くようになった。書き写し、創作合わせて、中3春までに5000枚ちかく書いたのではないだろうか。

小1から読み聞かせを始めても、手遅れではなかった。第四子を見ていると、大人で学力(読解力、思考力)を向上させるには、昔話の読み聞かせまたは読書がよいのではないだろうか、と思える。大人に、読み聞かせるのだ。または自分で読む。ただこれは、試したことがない。昔話を読む&書き写しは最強だ。うっかり、幼児対象にばかり考えてきたが、年齢不問なのかもしれない。

そういえば、キリストさんもお釈迦さんも、昔話のような物語で教えを説いた。仏教では今も「写経」という修行法がある。これは書き写しだ。

自己啓発とか、学力向上メソッドは非常にたくさんあるが、「昔話を読む&書き写し」は聞いたことない。もったいないから、黙っとこ。