第二子は1浪に入った。とはいっても、高校の勉強を始めて1年半である。実質は、高2の秋に相当する。京大不合格を見た次の日から、新しい挑戦が始まった。1年2カ月ほどで高校の内容を駆け足で習得した。もちろん、完全独学である。その後、共通テストと京大過去問に打ち込んだ。基礎はまだ不充分だ。

前年、つまり現役高3年齢のときは、模試を16回受けて、京大はすべてE判定だった。それも、大きく差のあるE判定だった。11月の冠模試では、歴史に残りそうなほどの低い偏差値だった。各予備校が、東大模試とか京大模試とか、難関国立大学各校に特化した模試を開催しており、それを冠模試という。京大の冠模試なら年に数回ある。

秋には受験生が必死に追い上げるので、模試も激化する。とはいえ、あまりにもあんまりだ。 (>o<)

京大E判定から抜けたのは、共通テスト本番が初めてだった。共通テスト前の1カ月で爆上げしたのだ。二次試験も、合格ラインまで差があったとはいえ、思いのほか善戦した。高校2年生が夏休みに京大の問題を解いてみた、と置き換えて考えると、上々の出来だろう。

再起動後は、とくに、数学と英語、そして古文に特化した。この3つ、夏までにゆるぎない基礎を身につける。

4月に、今年度1回目の模試(記述)を受けた。E判定だった。

5月に、マークと記述を1回ずつ受けた。中旬のマークがD判定、下旬の記述がC判定で、順調な伸びに驚いた。半月で1ランクずつ判定が上がっていることになる。Z会の在宅模試(京大特化)でも、良い成績だった。

7月にマーク模試を2回受けた。成績はまだ返ってきていないが、自己採点の結果は5月より大幅に点数が上がっている。判定も上がりそうだ。

京大はC判定だと危ないが、A判定、B判定になると希望が出てくる。再起動時の期待は、夏にD判定、秋にC判定、追い込みで追いつく、というものだった。前年の成績を考えると、それでも楽観的な望みに思えた。現実は楽観的な見通しを上回りそうだ。京大でC判定なら、東大と京大以外は合格確実に近い。私立は仕組みが違うので比較できない。

春先で京大C判定なら、ほんとうに、あと一押しだ。

もちろん、今後成績が上がり続ける保証はないし、模試の成績がどうであっても本番で不合格の可能性もある。

第二子は、受験宣言したときから、大学でやりたいことが明確だった。そのために京大がベストなのだと言う。

8月に冠模試が2つある(駿台と河合塾)。ここで良い判定をとりたいと、日々がんばっている。

私は40年前、高3の5月に始めて模試を受け、D判定だった。6月、7月はD判定はなく、C判定ばかりだった。夏に冠模試でB判定をとって、秋にはA判定かB判定(C判定はない)、11月にはすべてA判定だった。そして京大文学部に現役で合格した。夏までは浪人生の壁を感じたが、秋には気にならなくなった。第二子は私が高3のときと似た軌跡をたどりつつある。

私が子どもの頃と比べ、第二子には(子どもたち4人とも)、絶大な土台がある。大量の読み聞かせ、大量の読書、大量の書き写しだ。私には4人の子どもたちほどの土台はなかった。

絶大な土台があるが故に、だれからも一切勉強を習うことなく、完全独学で、さらに中学から高校にかけて3年間も勉強のブランクがあっても、高2の9月から高校の勉強を開始しても、そこから2年弱で京大に手が届きそうだ。

ここからは、私を追い越して行ってほしい。受験だけでなく、大学進学後も。三重大学生の第一子も同様だ。

第二子は、マーク模試も記述模試も、同じくらいの偏差値で同じくらいの判定だ。記述模試は、4科目(英語、数学、国語、世界史)間で大きな差がない。バランスのいい成績だ。京大から届いた成績開示を見ても、壊滅的な科目はない。4科目+共通テストが、どれも、少しずつ足りない。苦手科目がないということになる。4科目を順次伸ばせば、全体として爆上げになる。

再起動時、第二子は、成績が足りなくてももう1年、京大を受けると言っていた。2浪を覚悟している。2浪すると、第三子と同じ学年になるかもしれない。本人は、そんなことにかまっていない。人生、何が大事かを考えて、京大受験に臨んでいる。来年も京大に落ちれば、その次はどう考えるかわからないとも言っている。そりゃそうだろう。あまり長年浪人するのが良いかどうか。私はあまり勧めないが。

現状のまま推移していけば、来年は合格の望みを大きく持って京大受験ができるのではないか。

童仙房という田舎の小さな集落にあって、私が京大卒であることはみんなが知っている。4人の子どもたちも、幼い頃から、「あんたも京大行くんか?」と言われることがしばしばあった。そのような目で見られるということは不本意だっただろう。親と同じではない、自分は自分なのだ、と。第二子は、自分の生きる道をはっきり見出した。だから、誰から何を言われようとも動じなくなったようだ。たのもしく思う。

キミは親の附属ではない。キミにはキミの人格があり、人生がある。親といえども侵すべからざるキミだけの世界がある。親などかまうことはない。キミの人生をキミの手で拓いていってほしい。

 

 

3月22日15時、三重大学後期試験の合格発表がWebサイトであった。第一子が満面ニヤけ顔 (*^o^*) で報告してきた。「合格!」

競争率が高くなったことで、試験後、日に日にダメかも知れないと思いつつあった。また1年、受験生2人かかえた日々がつづくのか・・・

三重大学さん、ありがとう!!! よくぞ拾ってくださいました!!!

小学生の間ほとんど勉強せずに、その後は完全独学で勉強してきたものの、18歳からは大学へ行く気をみせず、仕事をしてきた、あの第一子が、いよいよ国立大生となるのか。親としても感無量だった。

合格したらしたで、その後のスケジュールがタイトだ。自宅から通学するオプションはない。田舎なので通学困難というだけではない。これまで完全ホームスクーリングでやってきたので、大学入学を機に、親から離れるべきだ。

合格発表前に、ハザードマップが白いエリアでアパートを見つけておいたのだが、すぐにその不動産屋さんへ電話した。すると、みつけておいた部屋はなくなったとのこと。そのかわり、同じアパートで別の部屋があいたとのこと。おさえておくことはできないというので、翌朝行くことにした。

わが家から三重大学まで自動車で1時間半。不動産屋さんは大学の近くだ。朝一番で訪れて、例のアパートを考えたいと言った。すぐに現地を見に連れていってくれた。車中で、「じつは、ハザードマップで白いエリアを探そうとしたら、このアパートしかないんですよ」と話しかけたら、不動産屋さんが笑いながら、「あの物件を見たがる人は、皆が同じことをいいます。昨日契約した人も、全く同じことを言っていました」

すると、アパートの住人は、防災意識高い系仲間になるのか。

アパートの部屋の内部は、Webで詳細に確認できるので、契約する方向で事前に固まっている。現地を見せて頂き、広さも設備も環境も申し分なく、第一子は「ここに決めたい」とのこと。

即、契約。

さらにその日の午後、大学からまあまあ近いところにあるニトリで生活家具・用品を買いそろえた。本人に選ばせ、本人に支払をさせた。親はついていっただけ。正確に言うと、あらかじめ、まとまった金額を第一子の口座へ振り込んでおいて、スタートアップ資金、当面の生活資金をそれで運用させた。家具にお金をかけたら、他で使うお金が少なくなる。何にお金をかけるか、またはケチケチいくのか、お好きにどうぞ。入学金はそのお金とは別で、すぐに支払ったけど。

家具はほとんどが組立式なので、アパートへ戻って、組立を手伝った。その日はまだ電気が開通していないので、日没が近づくと作業をやめて、第一子を連れて童仙房へ帰った。

受験生が、いっきに大学生モードになった。

その4日後、27日には、童仙房の自宅にある第一子の自転車、服、本、パソコンなどを車に積み込んで三重のアパートへ運んだ。家具の組立をようやく完了した。夕方、大家さんが来てくださったのでごあいさつ。とても良くしてくださる方で、ありがたい。お世話になります。

その日も、第一子は童仙房の自宅へ帰った。

翌28日朝、南山城村役場で第一子が住民票転出手続きをして、そのまま電車で三重へ1人で向かった。いよいよ大学生としてスタートする。

今後、親は、必要な支援はするけど、親から電話をしたりあれこれちょっかいを出すことは控える。第一子の方から近況報告など、知らせて欲しい。

大学生協に加入したり、大学で指定する保険を契約したり、教科書を買いそろえたりといろんな準備があった。親は何もしていない。最初に渡したお金で、第一子が全部自分でやった。

社会人をやっていたので、もともとスーツはもっている。入学式用に新たにスーツを買うこともなかった。入学式も無事に終わり、いよいよ大学生だ。

入学式直後の日曜日、パパとママと第三子、第四子で三重大学を見学に行った。1つの敷地にすべてが集まっているので、キャンパスはとても広大だ。建物も圧倒的な大きさのものがいくつもある。さらに、大学の敷地に海水浴場が隣接している。4月の海は真っ青で美しい。山の上にある童仙房からは絶対に見られない景色だ。

続いて、三重県総合博物館へも行った。三重大学が協定を結んでいるので、三重大生は入場無料だ。いつも思うが、どんなに立派な博物館も、来場者がきわめて少ない。もったいないことだ。そんななか、大学生らしい来場者も数人見かけた。三重大生だろうか。たのもしく見える。

4月はコロナ対策のため、全面オンライン授業とのこと。第一子は、パソコンを使うことは問題ないので、スムーズに参加できたようだ。大学の授業にもじきに慣れたらしい。小中高、1日も登校せず、全く授業を受けたこともない。それでも支障なく、大学生になれた。グループで課題に取り組んだりもしているようだ。

5月の連休明けからは、対面授業も始まった。パワーポイントでの課題発表なんかもこなしたそうだ。

本人に聞くと、三重大学を気に入っているとのこと。三重大学に来て良かったと。

そう聞くと、親としてもこのうえもなくうれしい。

大学4年間、何をどう過ごしてもいい。親はやぼったいことは言うまい。思うように精一杯がんばれ! そして、自ら道を拓け!!
 

 

2022年3月9日、神戸大学の合格発表の日が来た。第一子の感触では五分五分ではないかと思われた。第一子が報告に来た。「あかんかった」

前年、京大を落ちたときは、試験当日にすでに合格不可能であることを確信していたので、合格発表を見ても、感情が動かされなかったようだ。

今年は違う。合格しようと頑張り、合格を期待した分、ショックがある。不合格なら、3日後には三重大学後期試験を受けることになるので、すぐに気持ちを切り替えなければならない。でも、第一子は落ち込んだ。

「三重大学を受けるの、やめるか?」と聞くと、「そんなわけはない」と言う。「なら、気持ちを切り替えよう」

難関国立大学はおおむね競争率が2倍を超えるので、合格者より不合格者の方が多い。不合格はふつうのできごとだ。受験は受験でしかない。人生の有り様は無限に多様だ。1つの道がうまくいかなくても、別の道をいくらでも選びうる。

第一子もその辺は理解できるので、三重大学後期試験受験に向き合った。もともと三重大学についてもじっくり調べて、素晴らしい大学だと了解していたので、切替はすぐにできたようだ。

翌、3月10日は京都大学の合格発表だ。高校の勉強を始めて1年半の第二子が通るはずなどないのだが、本人は通るつもりでいる。第二子が報告してきた。「ダメでした」と悔しくて泣いている。合格するはずないと親が達観していても、本人は心底がんばったんだ。来年につながるぞ。

その日の夜、第二子はここから1年間のスケジュールを考えて、私に見せに来た。高校生の勉強は1年半でだいたい習得できたが、基礎の足りない部分を今後半年で徹底して補い、夏以降は受験対策へもっていく。なすべきことをよく考えている。ごくささいな微調整を提案したが、おおむねこれでよいだろう。すぐに気持ちを切り替えて1年後をめざし再スタートを切ったのは、とても良い。

翌、3月11日、近くの駅まで第一子を車で送り、1人で電車でホテルへ移動した。予定していた電車が線路沿いの火災のため不通となっていたが、別の路線をつかってあまり遅れずにホテルに到着した。大きく遅れると試験会場の下見ができなくなってしまう。ぶじに下見ができた。トラブルにも迅速な対応ができた。

受験の宿泊は5回目となる。いよいよ今度こそ、これで最後となる(なってほしい)。

翌、12日、三重大学人文学部後期試験。落ち着いて、普段通りのことができたようだ。とはいっても、ものすごく志願者が増えて倍率があがったし、当日、会場にも多くの受験生がいたそうだ。前期日程で合格した人は後期日程を受験しないのだが、後期日程の受験生がとても多かったと第一子は言う。

配点は、共通テストが個別試験より大きいので、共通テストでやらかした第一子は不利になる。競争率が上がれば、共通テストも個別試験も合格ラインが上がるだろう。合格は危ないかも知れない。

合格発表は3月22日。10日後だ。合格していれば、その後の手続きが忙しい。発表までの間、合格後の手続きについて調べた。アパートや寮についても調べた。三重大学は津市の海岸付近にあり、東南海地震が起きればまともに影響を受けるだろう。ハザードマップを見ると、大学付近が真っ赤だ。大学のWebサイトにも、防災に関する情報が詳しい。ハザードマップの白いエリアでアパートを探したいが、学生用の物件がほとんどない。そのなかで、アパートを2件、みつけた。大学まで1kmあまりで、自転車があれば問題なさそう。それにしても、大阪や京都と比べると津市は家賃が安い。びっくりするぐらい。

もし不合格だったら、どうするか。これも考えておかないといけない。

第一子の考えを聞いた。「ここまで頑張ってきて、大学に行かない道はない。もう1年がんばりたい」とのこと。そうだろう。

わが家は、小中高に1日も通わず、塾も家庭教師もなく、誰からも勉強を教えてもらうことなく、完全独学でやってきた。インターネット上のツールも勉強では使っていない。参考書をつかって、地道に独学をしてきた。そして、国立大学に手が届こうとしている。未知の世界だろう。さらにその後の就職となると、さらに未知の世界だろう。就職を考えると年齢がネックになると思う。第一子は高卒2年目で初受験。今年は1浪だが、3浪相当の年齢だ。もう一年となると、4浪相当の年齢となり、卒業時に26歳だ。

私の知人数人に相談すると、みな、同じ意見だった。年齢は関係ない。何歳で卒業してもふつうに就職できる。何年浪人しても良いではないか。それよりも受験に全力を尽くした方が良い、とのこと。

それ、本人もしんどいけど、親もしんどいんだよなあ。言ってることはわかるんだけど。

第一子は前年、1回目の共通テストをうけたとき、もう二度と受けたくないって言っていた。でも、今年2回目を受けた。これで最後だって言っていた。もう1年やるなんて、気力が持たないとも。

本人がさらにもう1年と覚悟するなら、親も覚悟せねばなるまい。あーしんど。通ってほしいなあ。第二子、第三子、第四子と、あとが3人つかえているしなあ。