この「陀羅華」の私の小欄も最終回になります。寺報「光雲」紙も今回で68号にもなり、毎回拙い私の作文をこの欄に書き続けてきましたが、漸くこの任から解放させてもらえるのだと思うとほっとした心境になっています。これまで読まれていたのか、読まれていなかったのか全く手応えがなかったものの、書く度に一々批判されるのもかなわないので、このまま静かに終わらせていただけることが有難いです。

さて、これからの寺はどうあるべきか、という問いは、今も昔も変わらずどの寺でも抱えている共通課題です。それには寺の名前がみな違うように夫々の寺が特色を出すことに努力することに尽きると思います。他寺と比べず、住職は自分らしく、ベストを尽くす姿勢が自ずと特色を創り出すことに繋がるのだと思います。他宗、他寺と比べて(いたずら)に不本意なことにまで同調せず、逆に競い合うのではなく、「和して同ぜず」の孔子の言葉にあるように、他の真似をするのではなく、主体性をもって寺院運営に臨むべきです。あくまで人は人に付くのであって、寺に付く者は怪しいと思っていいでしょう。テレビでどこかのコマーシャルの文句に「あんたがおるさけ行くんや」というのがありましたが、これは私の思いを上手く言い当てた言葉です。

 ところで、私たちは人と比べると、兎角、優越感や劣等感という厄介な感情を抱くものです。それはともすると身を亡ぼしかねない悪玉虫が騒ぎ出します。自分が優位に感ずれば{いい気になる・のぼせる・うぬぼれる・偉ぶる・上から目線になる・図に乗る・思い上がる・気取る}などと驕りの虫が心に生じ出します。逆に自分が劣位に感ずれば{人の所為にする・腐る・やけくそになる}などと言い訳をして責任逃れをしたり、投げ出したりして自暴自棄になる虫が自分を覆います。これらの感情は抑々(そもそも)比べるから起こるもので、正常な自分を見失うものです。ですからそのような悪玉虫を湧き起こさせないためにも、呉々も人との付き合いは程々の距離を保つことに心掛けるべきでしょう。

 最後に、長い間この小欄にお付き合い下さり有難う御座いました。何よりも女房とこれまで曲りなりにも本光寺で寺の業務に携わらせて頂いたことは、二人にとって此の上ない幸せなことでした。有難う御座いました。

「住職夫婦の買物風景」

 

住職の口癖 親は我が儘なくらいがよい