近年になって、殊に日本人の墓に対する意識が多様化したことで、行き場のないお骨が増えてきたようです。
これは核家族化や少子高齢化の影響で、先祖代々からの墓を守り続けることが困難になってきた様々な事情から生じてきたものだと思います。そこで、私の寺では1999年に、荼毘に付された後、天涯孤独で気の毒な境遇の方を対象にと、当寺墓苑内に総墓(散骨式合葬墓)を建て、小松市とも連携しながら身元を精査した上で受け入れています。
ところで、散骨というと飛行機などで空からお骨を撒いたり、船で海に撒いたり、山に撒いたりなどと思いがちですが、この総墓での散骨の方法は総墓の中に人が入って、壺からお骨を取り出して内部の土の上に撒くのです。その時、市の職員か民生委員か故人の友人などの立ち合いの下、丁重に僧侶が読経して執り行うことにしています。これは昔から云う、骨は土に帰る、という自然の理に適う方法だと思っています。
お骨を納めた処には墓標を建てます。これは「人間至る処青山有り」というのですから、後に何処に納めたか誰でも分かるようにした目印です。そして、その墓の穴は大地への小さな入り口と言ってよいでしょう。私の両親も納骨時に私の手で散骨しました。本来、骨壺は移動時の容器であって墓には入れなくてもよい物です。ちなみに、私の二人の娘には、私とお母さんの死後、二人の骨は細かく砕き混ぜて納骨をして欲しいと伝えてあります。
住職の口癖 人と比べず 自分らしく ベストを尽くす
