平成8年6月に理事長に就任した後、私は理事長職の仕事について指南を願いたいと、尾山台高校へ当時藤花学園理事長だった西野慶秀氏(私の母方の親戚)を訪ねた時に、今でも強く心に残っている言葉の一節があります。それは、「これまでの北陸大谷学園の問題点は、理事長が短期でころころ代わっていることだ。これでは他校から軽く見られ信用されない。例えば主が居ない家庭のようなもので、子供は戸惑い、やがて親に不信感を持つようになるだろう」と。私はその時、緊張しながらも何気なく聞いていたが、今になってみればそれは当を得た指摘だったと思っています。
そのように言われてみれば、当時本校内では理事長の影は薄く、今誰が理事長でどんな人物なのかを多分教職員や生徒も知らなかったと思います。それもその筈、私の前任の方から引継ぎの時には「年に2日程学校に行ってもらえばいいから」と言われていたくらいですから、その状況は推して知るべし、です。理事長の選定はそれまでの慣例に従って選出方法が当て職だったことが弊害になって、ただ名誉職で引き継がれていたことが、恐らく現場では相容れない存在だったのでしょう。
さて、今では高校の環境も22年前とは一転しました。これには平成16年の中越地震が起き、その3年後には能登半島地震と、大きな地震が立て続けに起きたことで、文科省からも全国の総ての学校校舎の実態調査が求められ、本校でも石川県の要請で建物の構造上の耐震調査が行われました。その結果、「倒壊の危険があり、早急に対策を講ずるように」との指導を受けたことで5つの選択肢を検討することにしました。それは見て見ぬふりして無視するか、移転するか、耐震工事をするか、法人を解散するか、建て替えするかの選択を自ら迫られることになりました。結局、それから7年の歳月を経て漸く建て替えに踏み切ることを決心しました。すると平成23年3月11日にあの東日本大震災が発生したことで、にわかに建設事業計画が加速したように思います。皮肉なことに相次ぐ地震が度重なったことで、本校にとって機能的で新しく安全で快適な環境が生み出されたことになったのです。今思い返してもこの事業の過程には数々の幸運な面もあったが、何よりもうれしいことは、誰も汚れず健全にクリーンに推し進められたことを自画自賛できることでした。
これまで22年間、多くの方々に支えられ大過なく学園の運営に携わってこられたことは、只々感謝の一語に尽きます。
住職の口癖 執念の人はひたすら好機を待つ