どっぷりと自然にかかわる話 | 「小屋」へ行ってきます

「小屋」へ行ってきます

『秩父曼荼羅小屋』の管理人。大峯山龍泉寺大先達(修験道)。

私の仕事は、ちょっと変わっておりまして
仕事というのは社会的な立場のお仕事のことですが

ざっくりと、自然にかかわる仕事をしています。


ヒトが人の都合で頭の中でつくりあげた、住みやすい環境は
ヒト以外のモノには住みにくい事が多々あり

そのとばっちりを受けたモノを
直に目の当たりにする仕事をしています。
すみません、オブラートに包み、さらにざっくりで。

東京にという場所に住みながら直球で自然を受けております。


でも「自然」て、人によりとらえ方はいろいろ。


私がすぐに思い浮かぶ「自然」は山と海です。
すごくわかりやすい。

「自然との共存」てよく聞く言葉ですが
あてはめると「山との共存」「海との共存」?
なんとなくわかるけど、いやわかりにくい。

だって、山は削っているし
海は埋め立てている。
利用するだけ、共に生きる事は考えてない。


ふと・・・

「山の神と共存」「海の神と共存」
と考えたら、わかりやくなった。
なんとなく、気持ちが通じそうな感じがする。
神サマがいると思うと感謝の気持ちも向けやすい。


がしかし・・・

山の神サマをどかして、山を削って私有地にしたり
海の神サマに断りもなく、埋めて私有地にしたり

共生じゃなくて強制です。


山道に突如現れる名前もない小さな社は
強制のあとのヒントではないかと思う。

町にある神社によくある
裏にひっそり建っている石版に、いくつかの神社の名前が書いてある。
中にはもう読み取ることもできない文字もある。
ヒントは残されている。

ヒントを残してくれた先人に感謝。


宅地開発がすすみ、どかした神仏があったはず。
人の都合でどかすことが忍びなく、心を寄せる人もあったはず。
人の都合で、神仏を挿げ替えることもあったはず。

そんなことが繰り返し繰り返し行われていて
訳わからないくらい、ごっちゃごちゃだとしたら、

もうお詫びするしかないのかも。
真心を込めて。
気が付いた人が・・・

自然にごめんなさいはピンとこなくても
神サマに「ごめんなさい」なら気持ちの的もしぼれる。


山も海もただそこにあるだけで
感謝もお詫びの心も無く、利用だけしてきたら
調和が取れなくなっても不思議ではないわけで・・・

「もののけ姫」の最後にアシタカが言ってます

『共に生きよう』