茨城県・椎尾山薬王院 その3(仁王門、毘沙門堂) | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2023年7月2日 茨城県桜川市真壁町椎尾の椎尾山薬王院に参拝しました。

 

彫刻が多いため、3つに分けて掲載します。

  ・茨城県・椎尾山薬王院 その1(本堂)

  ・茨城県・椎尾山薬王院 その2(三重塔)

  ・茨城県・椎尾山薬王院 その3(仁王門、毘沙門堂)

 

仁王門  桜川市指定文化財

 

蟇股に仙人などの彫刻があります

 

張騫乗槎
武帝に「天の川の源を探って来い」と命じられた張騫は、筏に乗って川を遡っていった。すると不思議な場所につき、機を幾つも置いて織っている見慣れぬ服装の人と牛を連れた老人に会った。尋ねると「牽星と織女だ」と言い、「ここが天の川の源だから、もう帰るがいい」と言われた。張騫が帰って皇帝に報告すると、果たして、張騫の留守中の七月七日に、天の川に新星が現れたのが観測されていたという。張遷は実在の人物。武帝の命により大月氏という国へと赴いて、漢に西域の情報をもたらした。この情報から西方との交易の道が開かれ、「シルクロード」と呼ばれる交易路に発展していった。

  * 新・龍元洞雑記帳の椎尾山薬王院 三重塔と仁王門 のサイトを参照させていただきました。

 

費長房
費長房は市場で役人をしていたが、その市場で薬を売る仙人・壺公と知り合いになり、壺公の弟子となり、仙界に行き様々な仙人になるための試練を受けるが最後の試験に失敗し、その道を諦めることになる。しかし、人間界に戻っても万病を治し、百鬼を祓い、土地神を使役するという能力は失うことなく活躍したと伝わっている。巻物を見ながら鶴に乗っている姿で表現されることが多い。

 

琴高仙人
琴高は琴の名手で、長寿の術で二百年も生きていたという。ある時、弟子に「龍の子供を捕まえてくる」と言って去って行った。弟子達は帰ってくると約束の日に群衆一万余人と共に河原に出迎えると、波が高くなり、琴高は二尾の鯉に乗って現れたという。

 

黄安仙人
列仙伝という中国の道教にまつわる説話集で、70人の仙人たちの伝記が載せられている。その一人が黄安。黄安は中国前漢の武帝時代の仙人。家にいる時には三尺程ある大亀に乗っている。逸話に、今年で何歳になるかと聞くと、この亀は三千年に一度顔を出し、今まで五度頭を出しているので一萬五千歳と答えたという。長寿、永遠の象徴となっている。

 

交通安全などを祈念して奉納された大きな下駄が門の脇にかけられている。 

 

 

 

毘沙門堂

 

右面の脇障子:鐘馗
唐の玄宗皇帝がマラリアにかかり、夢で悪鬼に苦しめられるが、恐ろしい形相の大男が現れ、悪鬼を退治する。大男は「鍾馗」と名乗り、玄宗に跪いて「科挙の試験に落第したことで自殺したにもかかわらず、帝に手厚く葬っていただいた。その恩に報いるため参りました。」と話した。玄宗が夢から覚めると、病気が治っていました。この話は国中に広がり、鍾馗は道教の神や疫病除けとして祭られるようになったという。また、戦国時代には『鐘馗(しょうき)=勝機』の音が同じで縁起が良いとされ、旗印や陣羽織に鐘馗様を描いてげんを担いだ本多忠勝や前田利家などの武将もいました。

 

右面の脇障子(裏):鶴

 

左面の脇障子は無い

 

正面の長押:擬人化した猿の演奏・踊り

 

右面の長押:竹林の七賢
中国 晋の時代(三世紀後半)は世が乱れて、役人達には汚職がはびこり、腐敗していた。竹林の七賢とはこれを嘆いて政治から身を引いて隠遁し、洛陽の竹林に集また七人の賢者のことをいう。彼らは心の赴くままに酒を飲み、詩を作り、楽器を奏でたりしながら、清談するという日々を送ったという。この時代、社会への批判は権力者によって簡単に命を奪われてしまう時代であり、彼らの世俗から超越した生き様は腐敗した社会に対する抵抗であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判でもありました。

 

左面の長押:不明 (5人のグループは覚えがありません)

 

コメント:動物を擬人化した彫刻は諏訪神社(上新田)で見て以来です。

 

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