群馬県・新宿八幡宮 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2023年3月3日 群馬県桐生市新宿の新宿八幡宮に参拝しました。

 

由緒

当社は桐生家重臣新居豊前守宗俊が天文二年(1533)八月十五日男山八幡宮の御分霊を請うて元宿に遷宮鎮座せしも元亀二年の大洪水にて元宿流出し此の年三ッ塚及び奉行原にかけつ新宿を開拓し鎮守として八幡宮を遷せり。当時の社殿は文政六年の新宿大火にて焼失し現在の社殿は其の直後に造営せしものなり。
 

鳥居

 

拝殿  修理中でした

 

玉垣と本殿

 

右面の胴羽目:俵藤太の大百足退治
瀬田の唐橋の下に棲む竜神に三上山の大百足退治を頼まれた秀郷(俵藤太)は、見事に大百足を討ち取る。竜神は喜び、取れども尽きぬ米俵、切れども減らぬ絹一疋、薪なしで煮える釜、慈尊出世を告げる名鐘を秀郷に贈った。その後、秀郷は名鐘を三井寺に奉納した。

 

背面の胴羽目:応神天皇誕生
神功皇后は仲哀天皇の妃。仲哀天皇が熊襲征伐で敗北し戦死。その後、熊襲征伐を取り止め、朝鮮半島に出兵(三韓征伐)し服属させたという。その時、神功皇后は身籠っており、お腹に石をあててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産したと伝えられている。

 

左面の胴羽目:雨乞小町
天下旱魃の時、小野小町が勅命を受けて平安京の神泉苑で雨乞いの和歌「千早ふる神もみまさば立ちさばき天のとがはの樋口あけたまへ」(ちはやぶる神も、日照りを御覧になられたなら、大急ぎで天の川の水門を開けて下さい)を詠んだところ、この歌の徳でたちどころに大雨が降ったという。

 

右面の脇障子:鳥

 

左面の脇障子:鳥

 

右面の腰羽目:龍 (縁の下持送りの龍は、胴体を腰羽目に繋がっています)

 

左面の腰羽目:龍

 

妻飾り

 

コメント:カラフルというには全体的に緑色ですが、落ち着いた色合いの素晴らしい彫刻でした。

 

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