埼玉県・吉羽天神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年9月5日 埼玉県久喜市吉羽の吉羽天神社に参拝しました。

 

由緒

当社は、吉羽のうちの「下宿」の人々が組内の鎮守神として祀ってきた社で、『風土記稿』吉羽村の項にも密蔵院持ちの社の一つとしてその名が載っています。創建についての伝えはありませんが、下宿で一番の旧家である折原栄家は当主で20代ほど続いていることから考えると、吉羽郷と呼ばれていた時代に、同家の祖たちが開発した際に勧請したものではないかと思われます。吉羽天神社本殿の内陣には木造天満天神像が安置されており、本殿外壁の雷神風神をはじめとした唐子遊びの彫刻は見応えがあります。

 

鳥居

 

拝殿

 

狛犬  髭?が立派な狛犬さん

 

本殿と玉垣

 

本殿

 

右面の胴羽目:鞍馬天狗「僧正坊」から武術を習う牛若丸  
幼い日の牛若丸(源義経)は、鞍馬山で鞍馬天狗「僧正坊」の指導のもと、夜な夜なカラス天狗達と剣術や妖術を習い、兵法を学んでいたという。

 

背面の胴羽目:天岩戸
天照大御神は須佐之男命の悪行を怒り、天岩戸と呼ばれる洞窟に隠れました。太陽の神が隠れたため世界は真っ暗になり、作物が育たなくなり、病気になったりと災いが発生した。困った八百万の神々は天安河原に集まり、策を考えます。最初に、鶏の鳴き声には太陽の神様を呼ぶ力が有ると言う事で鶏を集めて鳴かせたが扉は開かず失敗。次に、天宇受賣命が伏せた空桶の上に立ち、激しく桶の踏み鳴らし、次第にボルテージを上げ、やがて胸をはだけ熱狂的な踊りを披露します。それを見た神々は大きな笑いを上げ、騒ぎ立てます。すると、その騒ぎが気になった天照大御神は天岩戸を少し開け、外の様子を覗きました。その瞬間、入り口の傍らに控えていた天手力男神が天岩戸をこじ開け、天照大御神を外に導いたことで世界に太陽の光が戻ったとされます。

 

左面の胴羽目:応神天皇誕生
神功皇后は仲哀天皇の妃。仲哀天皇が熊襲征伐で敗北し戦死。その後、熊襲征伐を取り止め、朝鮮半島に出兵(三韓征伐。200年)し服属させたという。その時、神功皇后は身籠っており、お腹に石をあててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産したと伝えられている。

 

右面の脇障子:鷹と小鳥

 

左面の脇障子:鷹と兎

 

右面の腰羽目:唐子遊び--鬼ごっこ

 

右面の腰羽目:唐子遊び--囲碁

 

背面の腰羽目:唐子遊び--絵を見ている

 

背面の腰羽目:司馬温公の甕割り

 

左面の腰羽目:唐子遊び--象?と遊んでいる

 

左面の腰羽目:唐子遊び--? 不明

 

海老虹梁:龍  手挟:亀

 

海老虹梁:龍  手挟:亀

 

コメント:盗難防止なのか彫刻を金網で覆っています。撮影しづらい神社でした。

 

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