埼玉県・大内神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年4月6日 埼玉県秩父郡東秩父村大内沢の大内神社に参拝しました。

 

由緒

社蔵の古文書には、大内沢の地名及び当社の由緒が記されている。これを要約すれば、「桓武天皇の曽孫で、初めて平氏を賜った高望王の弟である恒望王は、太宰権師であったが、讒言にあい、延歴年間、武蔵国に左遷された。当時の武蔵国の大部分は広野であり、恒望王はなかなか居を定め得なかったが、やがて比企・秩父の両郡に挟まれた山里に住し、その地を武蔵の大内と名付け、一祠を設けて、厚く信仰する天明玉命を祀った。これが当社の創建である」とある。一間社流造の本殿は、明治三十年(1897)に再建されたもので、彫刻師の佐藤正貫が二年掛かりで謹刻した見事な彫刻が施されており、昭和五十九年(1984)に村指定文化財となっている。

 

橋を渡ったところに神社があります

 

拝殿

 

覆屋  覆屋の中は暗く、目視ではあまり見えません。また、金網で覆われています。

 

本殿

 

右面の胴羽目:須佐之男命の八岐大蛇退治
八岐大蛇は毎年やって来て娘をひとり食べていた。今年もその時期になり櫛名田比売が生贄になるという。須佐之男命は八岐大蛇を退治するため、櫛名田比売の両親(足名椎、手名椎)に強い酒を8つ用意させ、八岐大蛇がくるのを待った。やがて八岐大蛇が現れ、門の前に置かれた酒を飲み始めた。そして、酔いが回り八岐大蛇が眠ったところで、須佐之男命は八岐大蛇を切りつけ退治した。大蛇の尾からは一振りの剣が現れ、須佐之男命はそれを「天叢雲の剣」と名付け、姉である天照大神へと献上した。

 

背面の胴羽目:天岩戸  (金網が写ってしまったので2枚の写真を合成しました)
天照大御神は須佐之男命の悪行を怒り、天岩戸と呼ばれる洞窟に隠れました。太陽の神が隠れたため世界は真っ暗になり、作物が育たなくなり、病気になったりと災いが発生した。困った八百万の神々は天安河原に集まり、策を考えます。最初に、鶏の鳴き声には太陽の神様を呼ぶ力が有ると言う事で鶏を集めて鳴かせたが扉は開かず失敗。次に、天宇受賣命が伏せた空桶の上に立ち、激しく桶の踏み鳴らし、次第にボルテージを上げ、やがて胸をはだけ熱狂的な踊りを披露します。それを見た神々は大きな笑いを上げ、騒ぎ立てます。すると、その騒ぎが気になった天照大御神は天岩戸を少し開け、外の様子を覗きました。その瞬間、入り口の傍らに控えていた天手力男神が天岩戸をこじ開け、天照大御神を外に導いたことで世界に太陽の光が戻ったとされます。

 

左面の胴羽目:応神天皇誕生(神功皇后と子を抱く武内宿禰)
神功皇后は仲哀天皇の妃。仲哀天皇が熊襲征伐で敗北し戦死。その後、熊襲征伐を取り止め、朝鮮半島に出兵(三韓征伐)し服属させたという。その時、神功皇后は身籠っており、お腹に石をあててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産したと伝えられている。

 

向拝柱に龍が巻き付いています

 

海老虹梁に梅?

 

右面の木階下:力神 階段を担いでいます。

 

左面の木階下:力神 階段を担いでいます。

 

右面の腰羽目:獅子

 

腰羽目:(上段)獅子 (下段)波

 

コメント:天岩戸で猿田彦が驚いて目をひん剥いています。彫刻師の佐藤正貫の作品は見たことがありませんが、面白い作風だと思います。