埼玉県・駒形神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年7月21日 埼玉県日高市高萩の駒形神社に参拝しました。

 

由緒

小畔川上流の高萩の地に鎮座する当社は、高麗王若光により霊亀2年(716)に創建されたと伝えられます。社記によれば、若光は、郡を開くにあたり、まず、猿田彦命と武内宿禰命の2柱を祀り、次いで、居住地の東方に設けた釘貫門の近くを卜(ぼく)して保食命、天石戸別命、日本武尊の3柱を祀ったと記し、これを当社の創始としています。
この伝説に語られる釘貫門については神社の近くに今も釘貫という地名が残り、また「駒形は高麗方に通じる」とも言われることなどから、当社の創建と高句麗人とは深いかかわりがあったと思われます。釘貫は、現在の武蔵高萩駅を指します。
風土記稿は当社について「天神、祇園、日本武尊を祭る云 神体は駒に乗りし銅の像なりしがいつの頃にや失いて今は駒のみ在せり云々」と載せています。今ではその馬もなく祭神も誉田別命、息長足姫命、高良玉垂命の三柱に改められています。

 

鳥居

 

拝殿

 

覆屋

 

本殿  市指定重要文化財

 

右面の胴羽目:双龍

 

背面の胴羽目:司馬温公の甕割り
温公は司馬光といい、北宋の政治家。「資治通鑑」を書いた学者としても知られています。子供の頃、大きな水瓶に落ちた友達を助けるために、石で瓶を割りました。大切な瓶を割ったので叱られることを覚悟していましたが、父親は温公をほめて、改めて命の大切さを教えたと言います。

 

左面の胴羽目:虎の親子

 

神功皇后と子を抱く武内宿禰
神功皇后は仲哀天皇の妃。仲哀天皇が熊襲征伐で敗北し戦死。その後、熊襲征伐を取り止め、朝鮮半島に出兵(三韓征伐。200年)し服属させたという。その時、神功皇后は身籠っており、お腹に石をあててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産したと伝えられている。

右面の脇障子:武内宿禰

 

左面の脇障子:神功皇后

 

コメント:龍や虎よりも、物語性のある彫刻が好きです。