埼玉県・光西寺 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年7月21日 埼玉県川越市小仙波町の光西寺に参拝しました。

 

由緒

光西寺は、永禄九年(1566/室町時代)に島根県浜田市で恵誓法師を開基として寺が建立されました。浜田藩士の菩提寺として尊崇されていた。天保七年(1836)、藩が日本海の竹島を根拠地として外国との貿易(当時は禁制)を行っていたことが露見たため、重臣数人が責任をとって切腹し、船頭が処刑されて、奥州棚倉(福島県)に左遷転封され、光西寺も浜田藩士の菩提寺のため移転した。慶応三年(1837)、藩主松平周防守康英公を老中職に任ぜられ川越城主として移転し、光西寺も千寿院に借寺をした。その後、大正時代になり川越に光西寺を建立した。

 

山門

 

漁樵問答
漁師と樵(きこり)が河辺で対話している図を「漁樵問答」と呼ぶ。漁夫と樵が出会って、互いにその天分とする境遇について問答をする様を表したもので、樵夫と漁師との問答に託して、様々なことを説いており、画題として古くから多く描かれています。

 ・漁師は水では魚を捕えて。樵は山では木を採り、ともに俗塵を避け、大自然の中で悠々自適に暮らしている。

 ・己れの力以上のことをすると身をそこねる、人は分に応じて事をなすのが賢明である。

 ・魚を釣るには竿・綸(いと)、浮、沈(おもり)、鈎(はり)、餌の六物を具えなければならない。その中の一つでも欠ければ魚は釣れない。しかし、六物が全部そろっても、魚の釣れぬ場合もある。それは天運がしからしめるのだ、人がある事をなすには、勿論全力を尽くさねばならぬが、事の成否は天運次第だ。

 

黄初平
黄初平とは葛洪『神仙伝』に載る仙人の一人である。少年の頃、羊を牧していたが、ある時道士と出会い、金華山石室の中にいたり、40年間にわたり姿を隠していた。その兄が山中を探し再会した時、羊はどうしたかと尋ねると、山東にいると答えた。兄が出かけてみると白石だけがあった。次に黄初平と一緒に出かけ、黄初平が「羊よ起て」と声を掛けると白石が全て変じ、数万頭の羊になったという。

 

参考として、黄初平(鮮斎永濯画譜より)  [2022.08.08追記]

 

この2つの彫刻は、光西寺が所有している掛け軸を彫刻にしたものだそうです。

 

 

 

山門の境内側

 

中備に力士像がおり、屋根を支えています。

 

本堂

 

コメント:神社ではなく寺ですが、興味深い物語の彫刻ですので、記載します。仙波東照宮から徒歩5分程度の場所にあります。

 

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