2022年5月14日 埼玉県深谷市岡の岡廼宮神社に参拝しました。
由緒
大正十年(1920)、諏訪神社、久呂多神社、稲荷神社を合祀し、岡上神社を岡廼宮神社と改称した。祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命という。江戸時代の初め、村の鎮守であった聖天社は建物の腐朽甚だしかったが、池田三郎左衛門貞長という武士により改築された。貞長は、高崎城主安藤右京進にお預けの身となった徳川忠長(徳川家光の弟)の側近であったが、何者かの讒言にあい側近役の地位を追われ、岡村に蟄居していた。忠長は、自害する前に、讒言に惑わされ貞長を追放したことを後悔し、「自分の死後、菩提を弔うように」との遺命を貞長に下した。この遺命により、貞長は岡村に全昌寺を建立し、また当社も改築した。落成すると貞長は、神前において主君の後を追い切腹した。
鳥居
拝殿
中備:龍
本殿と玉垣
本殿
胴羽目彫刻3面で七福神となっている。
右面の胴羽目:弁財天、寿老人
背面の胴羽目:大黒天、毘沙門天、福禄寿、恵比寿天
左面の胴羽目:布袋尊
右面の脇障子:鳥
左面の脇障子:鳥
右面の腰羽目:(上部)唐子遊び--雪玉 (下部)霊獣の犀
背面の腰羽目:(上部)唐子遊び-- (下部)霊獣の犀
御神木
御神木の幹
コメント:由緒を見ると、「切腹」や「自害」など血生臭い過去が見えます。その弔いに、七福神や唐子遊びの題材はふさわしいと感じます。