2022年7月9日 山梨県南都留郡山中湖村山中御所の山中諏訪神社に参拝しました。
由緒
山中諏訪神社は、崇神天皇の御代7年(104)疫病が蔓延したため、勅命を以って豊玉姫命を奉ったのが創建です。康和3年(966)、村人が開墾の守護神として建御名方命を合祀し、諏訪大明神、山中明神とも呼ばれてきました。天文21年(1552)には、武田晴信が北条氏との合戦に際し、御加護を請ひ奉らんと本殿を造営寄進。貞享元年(1684)に本殿を修築。明治5年村社に列せられました。
御祭神は、豊玉姫命と建御名方命。豊玉姫命は、海神・豊玉彦神の御娘で、出産の折、産屋の屋根も葺き終らないうちに鵜葺屋葺不合尊(神武天皇の御父)をご出産したという神話に基づき、結婚、出産、即ち縁結び、子授け、安産、子育ての神として崇められてきました。
拝殿
懸魚:鳳凰 唐破風下:ウサギ 中備:天女
唐破風下:ウサギ 中備:子供を抱く天女と龍
木鼻:龍
拝殿の右面の脇障子:鐘馗
唐の玄宗皇帝がマラリアにかかり、夢で悪鬼に苦しめられるが、恐ろしい形相の大男が現れ、悪鬼を退治する。大男は「鍾馗」と名乗り、玄宗に跪いて「科挙の試験に落第したことで自殺したにもかかわらず、帝に手厚く葬っていただいた。その恩に報いるため参りました。」と話した。玄宗が夢から覚めると、病気が治っていました。この話は国中に広がり、鍾馗は道教の神や疫病除けとして祭られるようになったという。また、戦国時代には『鐘馗(しょうき)=勝機』の音が同じで縁起が良いとされ、旗印や陣羽織に鐘馗様を描いてげんを担いだ本多忠勝や前田利家などの武将もいました。
拝殿の左面の脇障子:金太郎
八重桐と坂田蔵人の間に金太郎は生まれた。しかし、蔵人が亡くなってしまい、八重桐は金太郎を連れて足柄の里に帰り、二人で暮らすようになった。(また、足柄山にすむ山姥が、夢の中で赤竜と通じ金太郎が生まれたる話など数種類の話がある)成長した金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育った。その後、金太郎は源頼光に仕え、坂田金時と名乗り、酒呑童子を退治するなど活躍する。
本殿に彫刻はなし。
手水舎
懸魚:子供を抱いた天女
懸魚:笙を吹く天女
中備に龍、獅子、鳥などの彫刻があります。
龍
水鳥
土俵。毎年9月に開催される山中明神安産祭りの行事の1つとして、ここで奉納相撲がおこなわれます。